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自己紹介

アイデンティティ

阿波市出身の父。吉野川市出身の母。ふたりの子供として生まれた私は、幼い頃から、北岸と南岸を行き来してきた。その時に必ず通るのが善入寺島。母方の祖父は、善入寺島に畑を所有していて、春や秋に耕作を手伝ったものだ。田植えの時、昼になると義祖母が握った塩むすびを麦茶で流し込んだ。見上げた空の青さが忘れられない。義祖父は川舟を持っていて、夏になると、自分で釣った吉野川の天然鮎をクーラーボックスいっぱいにして、我が家に送り届けてくれた。

そんな自分がSNSを始めた時、ごく自然に選んだのが「阿波川島」だった。直接の由来はJR阿波川島駅。北岸の人間が公共交通機関で徳島市内へ行こうとすると、善入寺島を渡り、南岸を走る国鉄に乗らないといけない。昭和30年代に潜水橋(沈下橋とも言う)が架かる迄は、渡し船で往来したと聞いている。渡った先にあるのが徳島本線・阿波川島駅。両親や私だけでなく、2世代前、3世代前の先祖達もこの駅を使ってきた。私に宿るアイデンティティと言っていい。

そんな私が好きな場所がここ。川島城跡のある高台に登ると、眼下に吉野川市、阿波市を一望できる。高越山、吉野川、善入寺島、阿讃山脈が視界に収まる。そのすべてが私を育んでくれた。冒頭に掲出したカット(善入寺島のひまわり畑)を含めて、我が心の原風景と言っていい。いつか人生最期の瞬間を迎えるなら、きっとこの風景を思い浮かべるに違いない。

夕陽が照らす西阿波の大地
( 2019年 撮影 Nikon Z6)

写真との出会い

写真にもカメラにも特別な興味がなかった自分。転機は、両親との別れだった。何年にも渡った闘病、介護、看取り。すべてが終わった時、遺品整理をしていると、大量のアルバムを発見した。一枚一枚に母の達筆で、日時や場所、簡単なメモが添えられていた。そこには家族の記憶が、私の成長の過程が、写真とともに綴られていた。見返すたびに、温かい涙が溢れてくる。両親が残してくれた宝物。同じように、自分の家族にも思い出を残してやりたい。心からそう願った。

最初はスマホで、やがてコンデジで家族の写真を撮るようになった。けれど、思うような絵にならない。一念発起して、デジタル一眼レフカメラ (DSLR)を購入した。一番初めに買ったのがキヤノン EOS 70Dという中級機。とてもバランスの良いカメラで、家族の写真だけでなく、初期のスポーツ撮りにも使っていた。当時、カメラの知識はゼロ。誰に教わるでもなく、2-3年かけて独学で覚えた。カメラ雑誌に掲載されたプロの作例を見ては、試行錯誤する。その繰り返しだった。

新町川水際公園にて
( 2014年 撮影 EOS 70D )

私にとって写真とは、被写体を通して自分の感情を表現するツール。愛する家族。愛するふるさとの山河。徳島のために闘ってくれるアスリート。被写体を通して、自分の想いを表現する。だから、いつも撮らせて貰っていると思っている。被写体を少しでも美しく描きたい。そのための勉強と努力を惜しんだことはない。一枚でも多く、徳島の美しい姿を残したい。私がこの世に生きた証しとして。

薄暮に包まれる水都・徳島
( 2020年 撮影 E-M1 MarkII )

徳島ヴォルティス

2011年12月3日。ヴォルティスは敵地岡山に乗り込み、0-1で敗戦。シーズン最終節で、J1昇格を逃した。そのニュースを、私は父の入院先で知った。その時、魂を強く揺さぶられた。ヴォルティスとともに戦い、J1昇格を果たしたい。心の底から突き動かされた。同時に、介護・仕事・家庭の狭間で思うままに動けぬ自分の無力さが情けなかった。その場に立ち会えなかった自分が悔しかった。そんな日々もいつか終わりを迎える。闘病の末に、父が他界したからだ。

父も母もいない。あの時の喪失感を忘れることはできない。心も体も灰になった気がした。この世と自分を繋いでくれた両親はもういない。自分が生き続ける意味はあるのか。心のなかは虚無感でいっぱいだった。葬儀と納骨が終わった時、幼児だった息子が外で遊びたいと駄々をこねた。重たい体を引きずりながら、向かった先が徳島スポーツビレッジ (TSV) だった。何も考えられず、まったくの無意識で足を運んだのだが、そこで私は神秘的な体験をする。

夕暮れ時。TSVに選手の姿はなく、スクール生が指導を受けていた。そこへ息子がするすると入っていき、輪の中でボールを蹴ろうとした。慌てて止めに入ろうとすると、コーチが微笑みながら「かんまんけん、一緒に遊ぼう!」と誘い入れてくれた。小学生のお兄ちゃん達に遊んで貰う息子を見た時、私と家内の顔に笑顔が蘇った。何年もの介護の果てに、家族は崩壊寸前、温かい気持ちを忘れかけていた。何より、自分達が徳島に生まれ育ち、こうして生かされていることに気づき、感謝の気持ちが溢れた。

徳島スポーツビレッジにて
( 許可を得て立ち入り・撮影 iPhone )

もうひとつの体験は、TSVから眺めた徳島平野の美しさ。たおやかな眉山。悠々たる吉野川は、河口で紀伊水道に流れ込む。そこに両親の面影を重ね合わせた。阿波の大地で代々暮らしてきた我が先祖達の姿を想った。自分は何のために存在するのか。両親のように、徳島人として立派に生きよう。そう誓った。その瞬間から、私の生きる目的がはっきりした。我が徳島を愛する。我ら徳島の名を掲げJリーグで挑戦するヴォルティスを愛する。地元を受け継ぎ、盛り上げていく。それが私のアイデンティティだと。

初日の出を浴びて輝く西阿波の大地
( 2020年 元日 撮影 X-T2 )

アスリートの一瞬を永遠の一瞬に

やがて、徳島のために闘ってくれるアスリートを自分で撮りたいと思うようになった。家族のポートレートを撮るように、選手の躍動を写真で表現したい。徳島人として、ヴォルティスサポーターとして、ともに戦った証しを残したい。それはもう心の奥底から湧き上がってくる衝動だった。望遠レンズを買い求め、必死にシャッターを切るようになった。まったくの独学。ゼロからのスタートだった。毎年、シーズンが終わると写真を見返し、課題を見つけては翌シーズンに改善する。ひたすらその繰り返し。

7年ぶりにJ1へ復帰した2021シーズン。私は覚悟を決めて臨むことにした。6年間の臥薪嘗胆を昇華させたい。カメラを思い切って入れ替え、迎えたホーム開幕戦。ついに納得のいく一枚を撮ることができた。75'にゴールを決めた垣田選手が雄叫びを上げる瞬間。'21シーズンのホーム初ゴール。そこを捉えた一枚。アスリートがピッチで見せる躍動。美しい天然芝のコート。そこに生まれる喜怒哀楽。そのすべてを一枚の絵のなかに凝縮する。自分の画作りの方向性が定まった瞬間でもあった。

75' GOAL 垣田裕暉選手の咆哮
(2021シーズン ホーム開幕戦)
( 同上 )

今シーズン、会員番号が変わり、クラブからブラックカードが届いた。実は意識したことはなく、一種の驚きだった。それくらい無我夢中に応援してきた。いつの間にか年間42試合、ホーム・アウェイ関係なく現地応援するようになっていた。正直なところ、少なからぬ代償と犠牲を払っている。それでも、まだ好きになれる。もっと好きになれる。我ら徳島の名を冠したプロサッカークラブがあるって、こんな幸せなことはない。これからもヴォルティス愛を貫くだけ。それが私の運命だと思っているから。

ポカスタの夕景
( 2019年 撮影 X-E3 )

2013年、2020年、2度もJ1昇格の現場に立ち合わせて貰った。特に2013年、東京代々木の国立競技場が阿波弁で溢れかえったPO決勝の興奮と歓喜と感動を忘れることはない。けれど、我々はもっとやれるはず。3度目の昇格を果たし、J1リーグに定着し、次の世代に徳島をバトンタッチしていく。未来を信じて、徳島の歴史を前に進めていきたい。すべては徳島のために。この想いを胸に、これからも頑張ります。よろしくお願い致します。

注意

掲載した写真は、特に断りのない限り、すべて私が撮影したものです。目的の如何を問わず、無断使用、二次利用を禁じます。よろしくお願い致します。

The pictures shown here are taken by myself unless otherwise noted. Copyright is revered. No secondary use of the pictures are allowed. Thank you for your understanding.





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