昔の祖母の日記めくり

 捜し物をしていると、昔の日記帳が出てきた。段ボールにメモや写真と一緒に無造作に突っ込まれていた。飽きっぽい私は日記を毎日書けるような人間ではない。見るとやはり1冊のノートを数年かけて使っている。

 綴られていたのは大学生の頃の日々だった。安定しない筆跡から、不安定な自我が垣間見える。展覧会や映画の半券が挟み込まれ、ノートの厚みが増している。その日記帳のことは記憶にあった。しかし書かれている出来事の大半を、私は全く覚えていなかった。

 亡くなった祖母も日記を付けていた。確認できるだけで5年日記が3冊、大学ノートが3冊、家計簿兼日記帳が6冊、小さなメモ帳が数冊残っている。彼女は私と違って根気強く、毎日の出来事を可能な限り書き留めていた。使い込んだ字引を片手に机に向かう姿は、家族皆が見慣れていた。

 しかし祖母は病気で日記が書けなくなり、そのうち周囲と意思疎通もできなくなり、施設のベッドで日々を過ごすようになった。横たわる祖母を見ているうちに、日記を書く彼女の姿は私の中で色あせていった。

 そんなある日、押し入れで祖母の日記帳を見つけた。私は読むことをためらわなかった。もう何も分からないのだからと、彼女を見くびっていたせいだろう。好奇心に任せてページをめくった。

 書き残されていたのは、初めて出会う祖母の内面だった。日々何かに焦り、喜び、苦悩に沈む。しかし、もつれた筆跡を読み進めていくうちに、私はこの人を知っていると思った。そして病で認知機能を失った彼女の姿に、元気な頃の祖母と、日記の中の祖母とが重なった。三者は全く違うにもかかわらず同じ人間だった。

 体験した出来事は全て、その人に残るのかもしれない。隠していようが、忘れてしまおうが、祖母の体には彼女が見聞きし感じたことが刻まれていて、それゆえこれは祖母である、と見る者に存在を証明する。彼女の顔をのぞき込むと、瞳に私の影が映り込んだ。目やにをティッシュで拭うと嫌そうな顔をする。その表情も、祖母であることの理由になるかもしれない。

 祖母は亡くなり、もうその瞳に私を映しはしない。

 私は自分の日記帳を閉じて、手のひらを眺めてみる。そこには何かが刻まれているのかもしれないけれど、今の私にはやっぱり何一つ思い出せないのだった。

(2018年11月18日 徳島新聞朝刊掲載)

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