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えいやっと

ふと気がつくと部屋の中が物であふれている。ふと気がつくと、なんていうのは嘘で、前々から「物が多すぎるな」とは思っていた。本当は引っ越してきたその日から思っていた。

まず紙類が多すぎる。下絵を描いた紙、小さいラフを引き伸ばして印刷した紙、気になるから取っておいたチラシ、いつかちゃんと絵として仕上げるつもりのスケッチ、良い紙の切れ端、昔描いた絵、保険料のお知らせ等。捨てても捨ててもすぐに溜まってしまう。まとめて捨てる為に紙袋を注文した。物を捨てる為に新たに物を買うというのは、何だか変な感じがする。

本も布団やソファに積み上がっていたので、収納の為に棚を買った。整理するためとはいえ、また物が増える。服もそんなに傷まないので、溜まっていく。着ていた時のことを思い出しながら、えいやっと袋に詰めた。

なるべく無駄な物をなくした方が良いのは、わかっているつもりだが、何が無駄で何が無駄でないのかを検討するのは、大変なことである。この本はもういいか、と思って捨てた本を数年後に読みたくなるということも、一度や二度ではない。

「一年以上使わなかったものは捨ててしまいましょう」という向きもあるが、そうなると幸にして一年以上身に付けていない数珠や実印があるが、そうそう捨てるわけにもいかない。屁理屈なのは重々承知しているが、たかだか一年で区切るのは乱暴というものだ。

「ときめくものだけを残しましょう」というのも流行ったが、身の回りのもの全てにときめくかどうかのジャッジを下すというのは、物に対して大変おこがましい態度のような気がする。かつてときめいた物に対して、ときめかなくなったから捨てるというのも、なんだか気がひける。

そもそも、ときめくものだけが周りにある生活というのはなんとなく怖い。その時は無駄に思えた物が、後々味わい深く思えることだってないとは限らない。そもそも無駄というものが個人的には好ましいものだと思っている。

とはいうものの、やっぱり物が多すぎるので、何かしら捨てて減らすべきなのは、間違いのないところである。確実にいらないであろうものもたくさんあるのだから、あれこれ考えずに捨ててしまえばいいだけの話なのに、なんでこんなに難しくかつ億劫なのだろうか。部屋がすっきりしたら、さぞかし気分が良いのであろうなあと思いながら、散らかった部屋の中で頭を抱えている。

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