がんと闘うおっさん

2022年  2月 直腸がん ステージ3C 4月 補助化学療法 5ヵ月 2023年  …

がんと闘うおっさん

2022年  2月 直腸がん ステージ3C 4月 補助化学療法 5ヵ月 2023年  3月 ストーマ落とす 9月 肺転移 右肺部分切除 術後検査でリンパ節転移発覚 10月 分子標的 イリノテカン 5U 開始

最近の記事

えっ、妻が妊娠 〜抗がん剤と妊孕性〜

昨年大腸がんの手術後、補助化学療法を受けることになりました。その時に妊孕性の話があり、ドクターからは子どもが1人いるからよかったね〜と軽い感じ。 看護師さんからは精子保存の話しがありました。 そもそもその事実を知らされたのが抗がん剤開始の1週間前であり、その時の判断として治療を遅らせることなく、治療に専念してしまおう。子どもは1人いるから2人目は諦めようという決断でした。 そこから抗がん剤を約5ヶ月ほど実施し、数家月後にはストマを閉じました。その後再発がわかり肺切除をして

    • がんの転移再びと抗がん剤

      久しぶりにnote書きます。 夏に大腸がんが肺に転移して肺の切除をしました。 その1ヶ月後の検査で見つかった、骨盤内の再発と手術した所と反対の肺の怪しい影。先生に朝の診察で告げられ、抗がん剤治療をすることとしました。わたくし雑な性格なので、注入する抗がん剤の薬品よくわかってない 笑 なんか分子標的見たいのと、合わせて3種類の抗がん剤をすることに。 これには鎖骨下にポートを作成する必要があるとのことで、そのまま放射線科を紹介された。 先生に手術の枠いつ空いてるか聞くと、本

      • 肺転移

        大腸がん治療後約1年で肺転移しました。 これでステージ4確定ですが、とりあえず、胸腔鏡手術してきました。 右下葉切除です。今術後1日目、元気になり食事しています。 術後痛いけど、開腹手術より何倍もマシでした。 息はまだしにくいけども。 これで完結したいけど、ステージ4はそんなに甘くないよね。 頑張ろ

        • ストーマ閉鎖とがん保険

          JAでがん保険入ってました。 ストーマ閉鎖しましたが、がん保険おりず。 ストーマ閉鎖はがんの治療じゃないみたい。 がんの治療しなければストーマ作ってないけどな。。 んー、なんか納得いかない。

        えっ、妻が妊娠 〜抗がん剤と妊孕性〜

          抗がん剤副作用 しゃっくり 浮腫

          なんとか7クール目に突入 副作用はいつも通りに加えしゃっくりが止まらない。 いつもしゃっくりはあるものの、今回は4日間続きました。 地味にきつい。。 後は浮腫。手足や顔はわかりやすいけど、どうも体幹も浮腫っているよう。 ストーマ交換のさいも出ている腸がいつもより膨らんでいる。 足のしびれもとれなくなってきたし、大分副作用が蓄積してきたよう。 なぜか血管痛は起きなくなった。。 さあなんとか8クール目まで乗り切りたい。

          抗がん剤副作用 しゃっくり 浮腫

          仕事と抗がん剤

          抗がん剤やりながらの仕事、少ししんどいなあと思うことが増えてきた。 特に今回の6クール目は副作用強めに出ているのと、足のしびれや浮腫等 明らかに副作用が蓄積してきた気がする。 みんな仕事どうしているのかなあ。 術後約1ヶ月でフルに仕事復帰したけど、職場の皆様が仕事量調整してくれていて2クール目の抗がん剤中断の時以外は仕事はほとんど休むことなく勤務継続できたし、休薬期間は釣りやらバイクやら楽しく過ごせてきたけど、少し不安になってきた。 がんになって仕事以外も色々なことを

          抗がん剤 6クール目

          6クール目が2週目に突入しました。 腫瘍マーカーは下がったけど、肝機能がイマイチ 今回は抗がん剤できるけど、次回はわからないね〜とのこと。 6クール目の副作用は吃逆が2日、倦怠感も5クール目より長く継続中 吃逆地味にしんどいからね。 あと困ったことに足の痺れが取れなくなったことと、足が浮腫ってる。 足首がなんか太くなってしまった。 腎機能に問題ないことを願う。 6クール目前の休薬中は術後初めて娘と2人だけで公園以外の場所に遊びに。 娘は羊に夢中でした。全然2人で遊

          抗がん剤 6クール目

          抗がん剤5クール目

          4クール目の休薬期間中は美味しいもの沢山食べて3キロ太りました。 抗がん剤治療中って痩せて食事も取れないイメージでしたが、後半から休薬期間中にかけてむしろ食欲旺盛になって食べてしまう。 次のクール始まったら冷たい物が喉を通らないと思うとアイスも沢山食べてしまった。 先生がボソッとこれ以上は太らんようにせんとなって。。 ですよね。 そんなこんなで5クール目開始 その前の血液検査で腫瘍マーカが上がっている、基準値より上だけど、、 先生何も言わない。 恐る恐る聞いてみると

          抗がん剤5クール目

          抗がん剤4クール目スタート

          また間が空きましたが、1クール目は完走しましたが、2クール目で吐き気、グロッキーな状態になり、血液データも悪化し中断。 3クール目で点滴の量を調整し、ゼローダはそのまま1日10錠のままで継続し、吐き気止めを追加、3クール目は完走出来ました。 で4クール目スタートとなりました。腫瘍マーカが標準値になり、うれしい気分で点滴しましたが、ちょっと4クール目はしんどいな。吐くほどではないが、食欲不振としゃっくり、ゲップが出る。なんとなく胃が上手く動いていない気がする。。。。 あと、

          抗がん剤4クール目スタート

          抗がん剤治療の開始

          術後から約1ヶ月、私は補助化学療法でゼロックス療法を実施することになりました。3週間に1回の点滴と、飲み薬2週間+休薬1週間の組み合わせです。 この抗がん剤の効果、思ったよりはデータ的には低いなと思いながら、でもその少ない人の中へ入れれば良いなとの思いで開始しました。 まだ生きたい。そんな思いが強いです。 そして抗がん剤の副作用ですが、 点滴中の多量の発汗で一時中止、30分ほど休憩して再開。 終了後の手の痺れ、強張り、末梢神経障害、光を見たら一瞬視野が暗くなるなど、 す

          抗がん剤治療の開始

          退院とその後

          更新滞っておりましたが、なんとか退院して1ヶ月経ちました。 なんとか桜を見ることができました。 仕事が心配で心配で、朝退院して午後には職場へ挨拶へ 車の運転もなんかフラフラ危ないなあ 職場で心配してもっと休めと言われましたが、 次に日にほ復職しました。 でもやっぱり体力は戻らず、休み休みの仕事でした。 家の階段も結構しんどかったな。 一番は2歳の子供は事情を把握できないのと、久しぶりの再会で 突然上に乗ってきたり、走り出したり。対応が大変でした。 日常生活に支障ない程

          ステージ3cとは?

          先生から、病理終わらないとわからないけど、恐らく大腸がんステージ3cと告げられました。 3c? 3a、3bは結構情報あるけどな。。 色々調べた結果、3a.3bより3cは5年生存率が低い事は分かった。。 辛いね。 しょうがないけど。

          ステージ3cとは?

          イレウス?

          術後、吐き気とゲップ、お腹のはりが見られ、ストーマへのガスの排出が見られませんでした。 CT検査をとった後、行われた処置は鼻からドレーン。。。 これが結構辛く、ある程度排出した後、抜いてもらいました。 その後テレビ室で、ストーマの出口が狭いとのことで、バルーンをを挿入しました。 その後、ストーマの出口から少しづつ排出が始まりましたが、夜中にまたお腹の張りと吐き気。当直の先生が来て再度鼻からドレーン。これは21時ごろ。 この痛みが続き、朝の6時頃まで耐えました。 しか

          大腸がん 術後

          手術室から、病室に運ばれて。 まずは、吐き気。 その後は、猛烈な痛みでした。 看護師さんに痛みを訴えると、痛みどめを入れてくれんですが、感覚が短いと後○分待ってと。 この繰り返しで、、朝を迎えます。 とりあえず痛い。 術後の痛みがこんなに辛いとは。 昼過ぎから少しずつ耐えられる痛みに。もちろん痛みどめ使いながらですが。 看護師さんに離床促されましたが、それは無理でした。

          大腸がん 手術

          私の場合、腫瘍が大きく、開腹してもとっかかりが無ければ摘出出来ないかもしれないと言われました。 本来であれば、抗がん剤→手術→抗がん剤らしいのです。 しかし、私の場合は既に発熱が続いていた事。年齢が若い事、ステージ的に末期の一歩手前であった事🤭などなど、後は先生の判断により、手術から開始する事になりました。 前日に、手術室の看護師から流れの説明を受け、ストーマの説明ビデオを見ました。 先生の回診で、僕は手術は痛いですか?と聞きましたが、痛くないよ。術後は痛いよ。痛みどめ

          手術まで

          私の場合は大腸がんとの確定診断から手術まで9日とめちゃくちゃ早い展開でした。 早いとは僕の主観ですが、どの先生からも若いから急いで手術しようと声かけされました。 入院から6日で手術日が決まり、その間にICや術前検査など、合間に仕事関係の連絡をし、体調も悪いなか、バタバタしながら当日を迎えました。 手術の怖さ、ストーマの受け入れよりも、体調の悪さと生きねばならないという思いが上回ってました。 前日の夜も恐怖よりも下血のしんどさが上回る状態でした。。