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ルメットの密室劇と懺悔の箱庭 | 映画『ザ・ギルティ』に寄せて

『DEN SKYLDIGE』というデンマーク語で「有罪」を意味するタイトルが暗闇に浮かび上がり、次に画面に映し出されるのは白人の男の横顔と彼が耳にしている青いヘッドセットである。その装いから警官であることが察せられるアスガーという男は「東部緊急」と名付けられた緊急ダイヤル司令室でオペレーターを務めている。
カメラはアスガーの横顔を捉えるが、彼の背後にいる同僚の姿はぼんやりとしてピントが合わず、彼がいる司令室の全景も露わにならない。冒頭の場面は終始、このアスガーという警官の姿だけを映し続ける。カメラがこの男から離れずその顔を捉え続けるということは、主観的であると同時に客観的な描写としても機能しており、「一体この男は何者なのか」という問いを観るものの無意識下に投げかけてくる。

映画は司令室の内部のみで展開される密室劇であると同時に、ひとりの男の内面のドラマであることが、舞台のシチュエーションと相まってか二重の意味で提示されているのだ。

STAFF
監督・脚本:グスタフ・モーラー
撮影:ジャスパー・スパニング
編集:カーラ・ルフェ
音楽:オスカー・スクライバーン
CAST
ヤコブ・セーダーグレン
イェシカ・ディナウ
エヨハン・オルセン
オマール・シャガウィー

彼が務めている緊急司令室の設備が現代のシステムの基準からしてどれほど真新しいものかはわからないが、アスガーが「112」の緊急ダイヤルを受信すると、その番号から瞬時に位置情報がパソコンのモニター上に表示され、通報者の氏名や住所、所有車のナンバーや犯罪歴までもが個人情報として表示される。では、この映画が最新のセキュリティシステムを駆使して犯罪者を撲滅せんとするクライムサスペンスとして展開していくかといえば、そうではない。
アスガーの上司である男との電話越しの会話から、彼は訳があって現場勤務から離れこの職場にいること、そして自身が犯した問題によって明日には裁判を控えていることが明らかにされる。
アスガーは常に自分の携帯にかかってくる電話を気にし、プライベートの連絡は慎むよう女性の上司から指摘される場面が複数回ある。また、彼がなぜ右手の薬指に絆創膏をしているのか。その理由は明かされないが、彼が抱えている問題とのつながりが暗示されている。アスガーは自らの手で何かを行い、その代償として指先が穢れてしまったのだ。

この映画では劇伴がほとんど流れることなく、電話の着信音や周囲の環境音が異様に誇張されて聴こえてくる。ウォーターサーバーが駆動する音や、コップに入れた錠剤が溶け出す音までもが大きく響くのは、アスガー自身がある理由から常に神経を尖がらせ、音に異常に敏感になっているからだ。

あるとき、彼が受けた一本の電話から、物語は大きく滑り出す。
イーベンと名乗るその女性は、アスガーに対して「はぁい?」と声を震わせながら、それでも優しく努めようとしているかのようなか弱い声で語りかけてくる。妙に脈絡のないその前後の会話から、彼女は自分の子どもに電話をかける振りをして、この緊急ダイヤルにかけてきたことがわかる。彼女は誘拐されている。咄嗟に状況を理解したアスガーは、イーベンを救出すべく、彼女が置かれている状況を知ろうと、あらゆる情報を引き出そうとする。自動車の走行音や、ワイパーの音、かすかに聞こえる隣席の男の苛立った声、怯えたイーベンのか細い声。携帯電話の番号から彼女の情報を割り出し、家族構成や子どものこと、夫であるミケルとは別れて暮らしていること。そして、マチルデというイーベンの娘との会話から、どうやらそのミケルという夫が家に入り込み彼女を誘拐していったことが明らかにされる。

視覚情報に一切頼らず、聴こえてくる音だけで状況を説明し、緊迫感を高めていくサスペンスの手法は見事であり、観ているものをまったく飽きさせない。
目に見える映像ではなく、聴覚によるイメージの想像は、観客ひとりひとりに異なるイメージを想起させ、別の想像力を喚起させる。前述の通り、映画の舞台は終始この司令室で展開されるため、誘拐されたイーベンとはどのような女性か、誘拐犯の男の正体は誰か、果たして現場はどのような状況なのか、その一切は映像によって提示されない。脚本の構成も素晴らしく、警察官は善人であり、誘拐された女性は被害者であり、誘拐した男は加害者であるという前提を後半では見事に覆してく。
司令室という安全圏内であったはずの場所が、やがてはアスガーが自身が犯した罪と向き合っていくにつれ、まるで懺悔のための告解室のような意味性を帯びていく転換の仕方も、うまく生かされている。

顔も身分も何もわからない第三者をどこまで信用できるかというテーマは、ヨーロッパでは否応なく移民の問題を喚起させるだろう。またデンマークは実際に移民隔離政策が提示されている国だ。そのテーマ性を浮き彫りにさせていく映画的手腕は非常にクールで知的なセンスを光らせる。
デンマークという陸の孤島と、罪を背負い家族すらも手放そうとしている一人の男の孤独とが重なり合って描かれる時、この映画は贖罪のドラマとしての姿を露わにし、司令室を去っていくアスガーの背中で終わるのだ。

監督であるグスタフ・モーラーは本作が長編デビュー作でありながら、非常に危ういバランスを維持し、そのテーマ性と技法とを重ね合わせながら見事に描き切った。モーラーはまたインタビューのなかで、劇中で流れる時間がリアルタイムで進行し、徐々に登場人物たちの感情の沸点が高まっていきラストで最高潮に達するこのサスペンス的技法については、先行作品としてシドニー・ルメット監督の『狼たちの午後』を挙げていたが、モーラーは他にもアメリカのニューシネマ作品からの影響を語っているところから察するに、派手な映像表現に頼ることなく、端正な画作りで終始飽きさせないカメラワークの構築の仕方は、印象として『大統領の陰謀』のイメージを感じさせるものがあった。アカデミー賞外国語映画賞のデンマーク代表にも選出されたのも納得の作品である。


主に新作映画についてのレビューを書いています。