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シフォンケーキとシオニズム②

味覚と気質・体質の連携は、大人の事情もあるため、なかなか語られにくいテーマだと思う。ある食癖を続けるとどういう風に身体に支障をきたすか、というのは因果関係的にわりとはっきりしている。
だが、そのことを意図的に隠ぺいしているのが今の社会である。

わたしが以前からずっと気になっているのは、
「自然派」な人々の営む不健康なストーリーの紡がれ方だ。

何を食べて美味しいと感じるか、ということは、単に味覚の遺伝というよりも、地域が持つ土地の特性によって、どういった食材がよく育ち、そこに住まうことでどういうエネルギーが枯渇しやすいかといったことや、その人の生活によってよく使われる動的エネルギーの種類などと切り離して考えることは難しい。

そして、現代の高たんぱくな食事が世界を席巻した大きな理由に、生活の工業化、ということがとても大きいように思う。季節感もなく、のっぺりと毎日長時間、商工業の歯車として、機械と競わされながら長時間労働をするわたしたちが、不自然な「奪う美味しさ」に取り憑かれ、その栄養補給なくして日々を生きることが不可能になってしまっているという現実。
食を見直すためには、生き方、暮らし方、働き方について捉えなおすこともほんとうは、必須だから、みんな黙ってアンタッチャブル、になってしまう。

多くの人が健康を取り戻したいと望む理由は、またいつもの暮らしを続けたいからである。
だが、その「いつも」に問題があるから、ストップがかかったのではないか?
その歪んだライフスタイルを問い直すことなく、絵本の「おおきな木」のように、リンゴの実を収穫するだけでは飽き足らず、最後は木を切り倒して売り払い、切り株まで利用しつくし、自然が持つ豊かな機能性・果実としての有用性を、あたりまえのように奪い、享受する生き方を「自然派」というのは違うとわたしは思っている。

東京に越してくるきっかけになった、某有名自然派の会社で、わたしはこのテーマで大喧嘩した。
奪う快楽を煽り続けるやり方の、どこがホリスティックなんですか、と。

そういう、構造としての不自然さによって病んでいる人を救うことは、より、病んでいる人を増やす方向を促進させているだけではないのかと。

わたしは長年、ゆるいベジタリアンをやっている。
一時期ヴィーガンのように厳格にやっていた時期もあるが、無理なのでやめた。味としては、ヴィーガン仕様で全然毎日美味しいので問題ないのだが、社会生活を営みながら、出先で食事をしたり、料理を簡略化したいと思ったときに、ヴィーガン的な純度よりも、時間的な余裕の方を優先したいことが多々あるから、というのが大きな理由だ。
もう少し違ういい方をするなら、陰陽のバランスを考える時に、食の面だけでみっちりやるのではなく、生活を含めた、動的な陰陽も全部含めたバランスを取りたい、ということである。

そうはいいつつ、その調整がいつもうまくいっているわけではなく、常に試行錯誤の連続だ。まともなものが食べたいと思っても、外で働く時間が長いと、なかなか自炊をするのは厳しい。食を優先すると睡眠時間がなくなってしまうので、わたしにとってそれは選択肢としてありえないのである。

キネシス的な人は、こういうとき、高たんぱく食を食べることで乗り切る。お肉を食べるということは、その動物が自分仕様に体内で生成したタンパク質を、奪って剽窃することで、わたしたちが自分の体内で、自分仕様のタンパク質を生成する手間をはぶく行為だとわたしは思っている。つまり、物語の剽窃であり、それは時間の節約となりとても効率が良い。睡眠も短縮され、奪ってきたことで一気に力がみなぎり、動き回ることが可能となる。効率性利便性の極み、が動物性タンパクをいただくことなのだ。

テクノロジーな世界の魔術師として人気が高い落合陽一さんは、レトルトカレーをストローで飲み物のように飲み、グミを食べるのが主食であるという話をうかがってさもありなんと思った。
肉エキスでくどい味の日本のカレールー(日本のカレールーは牛や豚の脂やエキスでこってりしている)と、動物の骨髄から煮出したゼラチンでできているグミは、効率性の極限であるため、彼がこういったものを好むということがとても腑に落ちた。 

これに対し、寒天はゼラチンと似ているがまったく組成が違う。
以前長野の諏訪に訪れたとき、神社の近くでタクシーを待っていたら、寒天の工場兼売店(松木寒天さん)をみつけたのでお邪魔してみた。なんと、ところてんの試食ができるようになっていて、みつや酢を自由にかけることができて、とても美味しかった。ほんとうは大きな袋の寒天を買って帰りたかったが荷物になるので、寒天ゼリーの素だけ買って帰ったが、これもまたほんとうに美味しかった。 寒天やこんにゃくがなぜ固まるか、という物語は、実は結構謎に包まれている。ゼラチンが持つ、接着剤的な、ある種暴力的なバインド力とはストーリーの質が違う。食べた時の食感としても、ゼラチンは乳製品などと同様、ベタベタと腸にはりつき停滞させる感触がある。対して寒天は澄んだ味わいと共に、消化していく過程での腸が整っていく心地よさがある。

ところで、シオニズムの用語に、ゴイムという言葉がある。
ゴイムとは、ユダヤ人でない人々のことであり、また、家畜や奴隷のような存在だ、と定義されているらしい。
このゴイムという名前の語源を追うと、またいろいろおもしろい閃きがある。この話は③で書こう。

これはプラハのシナゴーグに行った時の解説誌。
壁にぎっしり書かれていた名前は、ホロコーストの犠牲者のお名前だそうだ。


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