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巡る季節と果実と病(1)

占星術において、
牡羊座、おうし座、ふたご座、蟹座、しし座、おとめ座という、春分から秋分までの星座たちは前半星座、
天秤座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座、うお座は後半星座とされ、これらは明確に区別される。

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Photo by Niklas Hamann on Unsplash

わかりやすいイラストではなく、写実的な木の写真をお借りしてきたのは、前半星座はまさにこの、地上にあらわれている「木」の側であり、後半星座は、土に埋もれて、まるでそこにないかのようにみえてしまう側のエネルギー、ということを感じてもらいたかったからだ。

もちろん、この地中深くには、地上と同じくらい、あるいはもっと深くしっかりと横に広がった根があるわけで、だから木は立っていられる。
しかし、見えないものだから、日々ぞんざいにされがちなのである。

それだけではない。

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木には「果実」が実る。

りんごは赤くてデザートとしてもちいられるこの実に限定されず、「果実」全般の象徴イメージである。ここで注意してほしいのが、法律用語としての「果実」を、このシンボルにあてはめてみる、という視点だ。

ここには、果物や殺した家畜の肉、といった有機的なものだけでなく、森から切り出す木材や、鉱山から産出される鉱物や石材など、食べられないものも含まれる(天然果実)。そして、お金の貸し借りにおける利息や、不動産や動産の賃貸借で生じる金銭的な価値も、果実なのだ(法定果実)。

ここで12星座の循環、というものを捉えた時、生命はまず形のないところからかたちを手にして、どんどん大きく成長し、花を咲かせ、果実を実らせる。その後、落葉し、枯れ木になり、冬の時期を経て、また春には芽吹いて生命のかたちを地上にあらわしはじめるわけなのだが、

前半星座は、この物質のやりとりが前提となされた社会において、果実というかたちに結晶化させていくのにとても向いたひとたちであり、社会が要請するお題目に沿って努力し、成果を出しやすい人たちである。

対して、後半星座は、どちらかというとアポトーシス係、つまり、どちらかというと果実を分解し、腐敗発酵させて肥料にし、次の命へつなげていく側なため、どちらかというと経済社会において悪役になりがちとも言えるのではないか?

(追記:もう少し丁寧な説明をするなら、太陽が前半星座にあっても、生まれた時刻が太陽が沈んだ後であった場合、天体はチャート上で地下に配置されることになるため、同様のテーマと向き合うことになる。後半星座に太陽があっても、太陽がでている時刻に生まれれば、前半星座的な意味を帯びる。これらの丁寧な考察は個々のチャートを読むことが必要)

アポトーシスとは、もう不要になった老廃物や細胞などに積極的に死をもたらす係だ。なぜその係があるかというと、循環の促進。生命をよりよく保つために、不要になったものを片付ける係なのだ。

公益というものが理解されやすい社会において、アポトーシス的な役割を担う存在は、組織の中において、利益を増やす係ではないが、必ず大事な存在として厚遇される。
しかし、すさんだ社会では、この係がまっさきに締め出され、目先の効率化や利益の増大ばかりが大切にされる結果、全体の信用損失につながってしまう。最近、経団連かどこかが、日本の技術が海外に流出してけしからんから、人材を育てなければ、みたいなことを言っているニュースをみたけれど、今まで質を保とうとしてきた存在を冷遇しておいて何をいまさら、と思うのは私だけではないだろう。

つまり、手っ取り早くみんなが果実を欲しがる社会、というものがいろいろやばく、そのツケ、というものを全員が払わねばならないことになる、というお話を、星座を絡めながら少し書いてみている。
後半へ続く。

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