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「真の名」と黒い魔法①

いつのころからか、巷に溢れている、実用的現実的な黒い魔法と、そうでない、自然と一体化して作動する白い魔法の峻別に深く関心を向けるようになった。

ラノベやらアニメやら、フィクションにたくさん触れている人は、そんな用語を軽薄な感じでさんざん見慣れており、私がここで俎上にあげているようなスタンスをたぶん真面目に受け止めようともせず、エンタメとして消費するという安全ベルトが締まった位置からは、でてこようとしないだろう。

先日、正社員でしか働いたことがない人とご飯を食べていて、休日の過ごし方の話題になった。なんでも、暇だから、することがなくて、ゲーム機をいくつも購入してずっとゲームをしているそうだ。

彼らはもう、人生設計は会社に丸投げで安泰だからこそ、そういうオンオフの切り替えで生きているんだろうなと思った。
私はにこにこ相槌を打っていたが、この人と今後語れる話題は限られてくるなあ、、と痛感した。

今春から、とてもホワイトで居心地が良い職場で働いているが、時々、身分の違いというものを否応なしにつきつけられる瞬間がある。派遣なので、それはあたりまえのことだし、派遣であることのメリットも享受しているのでわかってはいることだが、深い谷が、彼らとの間に横たわっていると時々、深く感じる。

対して、そんな風な人生設計から放り出された人たちは、世の中がいかに、実用的現実的な黒い魔法に満ち、わたしたちも無自覚に加担し、その副作用に苦しめられているか、ということがぴんとくるだろう。

どちらの生き方もメリットデメリットがあり、決して楽ではないが、複雑な思いだ。そして、人生は選べるようでいて、選べるものでもない、、

どちらにしても、私にとっては、力にあやかれるものならいくらでもあやかって、人生得したい、と思っている人は、痛い目をみたことがなく、まだ調子に乗っている段階にしか思えず、羨ましいとは思えないのだ。

黒い魔法というのは、物事を深くまで理解した人は手を出さない。なぜなら、後半の物語が予測できるため、あとあと厄介になるのがわかっているから、そんな無駄な労力になることはしないのである。

その、黒い魔法として定番ルールとなっていることのほんとうの意味、を暴いていくのがわたしの趣味なので、今日もひとつ、暴いてみたい。

Photo by Álvaro Serrano on Unsplash
https://unsplash.com/@alvaroserrano

黒い魔法界隈では、本名やほんとうの生年月日を他人に明かしてはならない、そうしたら弱みを握られるし存立基盤が揺らぐので、ご法度である、なんてよく脅される。

確かに水商売の源氏名もそうだし、占い師で、本名でやっている人はとても少ない。

ほんとうに、生きることに熟達できれば、これらの問題なんてはっきりいって無効化されるのだが(呪いが効かなくなる境地も同様)、それをいいはじめると、そもそも占いの存立基盤も否定することになる、というのは確かにそうなのだ。

占いが当たるというときに起こっている科学的構造は、力の構造の予測通り、対象者が人生を歩んだということである。そして、占い師の腕というのは、力の構造のヒントとなる星の動きは、そのままだと漠然と抽象的であるが、それを、その人の現実にあてはめたらどんな具体的な事例になるだろうか、というあてはめが上手いということである。
火星が凶角をとります、という例があったとして、ではそれは事故になるのか、怪我になるのか、それともその人が自分の長年のコンプレックスを解消して力強く成長する瞬間となるのか、あるいはまたもっと違う出方になるのか?・・・どれにでるか、までは決まっていないのである。

そして、当たらないというときに起こっていることは、具体的あてはめ、がずれてしまったという場合、あるいは、その人が力学の圏外の物語に基づいて何かをやったり、そういう意識に切り替わった場合である。

そういうことなので、占い師としてもてはやされたい場合、お客様が覚醒されると、商売あがったりといえばそういうことになってしまう。

なので、ほんとうにこれらの領域に長けた人は、あまり技術をつかわなくなっていき、最後はもう、占いすらやらなくなる、というのはある種真実だろうと思う。

と思っていたところ、河合隼雄のファンタジーを読む、のゲド戦記について書かれている章で、興味深い記述をみつけた。

わたしはゲド戦記は詳しくないのだが、どうもこの「本名」というのが物語の位置づけとして鍵になっており、登場人物は基本的に字(あざな)であり、大切な友人が本名を明かすシーンが、結構もったいぶって描写されているようなのだ。

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