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考え抜くということ (201/365)

故人ですが、「思考の整理学」という名著で有名な外山滋比古先生のインタビュー記事です。

考え抜くというのは容易なことではありません。最近はネット検索や、ChatGPTまであらわれ、我々は考えているつもりでも、調べ続けているだけかもしれません。

私は36年前に想像力を飛行機になぞらえて「自分で翔(と)べない人間はコンピューターに仕事を奪われる」と書きましたが、いよいよその傾向が強まっているのです。

正に慧眼!

 「それまでのあり方が役立たなくなる」という意味では、これは産業革命以来の出来事だといえるかもしれません。私は一種の「知的大革命だ」と見ています。だからこそ、これからはAIと知識で競うのではないあり方、つまり考えることが大切です。

御意。

考え抜くというのは、手がかりがなくても、自分なりに思考を巡らし続けるということです。

そういえばかつてこんなやりとりを経験しました。

「考え抜いたのですか?」
「はい考え抜きました?」
「では、あなたにとって考え抜くとはどういうことですか?」
少し間があって
「上司に考え抜いたか?と聞かれたらそうですとしか言えません。」

orz

つらかったです。

考え抜いたとは簡単に言えないはず。
自信を持って言えるくらい考え抜いたのなら、何かしら大きな気付きを得ているはずです。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。


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