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お月様以外も欲しい



中国語を勉強し始めたばかりのころよく中国の人権問題を取り扱ったドキュメンタリー番組を見ていた。
 
たくさんの悲惨な映像や証言の中に特別心に残ってる場面がある。
 
ある日突然政治犯として囚われてしまった男とその妻の証言だ。
 
十数年という長い月日を引き裂かれて過ごした夫婦の妻は、涙ながらに吐き出すように言った。
 
「あの、地獄の生活で主人がどこにいるのか生きているのかもわからない日々の中で私たち二人で一緒に眺めることができたのは月だけよ。
月を見てる時だけ二人一緒にいられたのよ」
 
その時はなんで詩的で素晴らしい表現だろう、と呑気に聞き流していたけど、
まさか数年が自分の身に突き刺さってくるとは思わなかった。
 
私と、私の香港人の恋人はもうニ年半以上引き裂かれたままだ。
 
いつも四角い画面の中いっぱいに顔を映して、
少しでもこちらに近づくように画面に精いっぱい顔をくっつけるように話す陽気でかわいい私の世界で一番大事な存在は、3月18日の香港の入国制限、そしてそれに続く日本政府の入国制限で画面の中から出て来られなくなってしまった。
 
最初の1ヶ月は、何も悲観しなかった。
すぐに国境は開き笑い話にできると思ってた。
次の1ヶ月も楽観的に構えてた。
3ヶ月目になって突然涙が止まらなくなった。
 
よくミステリードラマで、犯人が何回も息継ぎをさせながら被害者を溺死させる場面がある。
 
私は、この一年半かすかな希望に息をついで、
次の日にはまた絶望の黒い水の中に顔を押し付けられて呼吸を奪われる。
 
そんな毎日を過ごしてきた。
 
1分、1秒と無意味に過ぎ去る時間を、
この地獄が過ぎ去るのを待つしかない私は「今日も再会できるのに近付けた」と喜ぶ工夫もしたけど、
 
心の奥底で、そんな自分を空虚なピエロだと思ってた。
 
何回もまんまるお月様とガリガリに痩せ細った新月を見送り、時間の流れを噛み締めた。
 
たとえどんなに科学技術や通信技術が発達したとはいえ、今の私たちにはそんな技術を介さなければ世界で一番大切な人と同じ景色や色を共有できないことが悲しくて虚しくて悔しくて仕方がなかった。
 
あの時の夫婦と同じように、今私たちが科学技術を借りずに一緒の時間に同じものが見れるのは、お月様を眺めている時だけだった。
 
月日が経つにつれて、私は一つずつ忘れていった。
 
一緒に食べた難しい漢字が並んでた料理の名前を忘れてしまった。
 
もう一度会えた時に最初に一緒に食べようって言ってた料理だったのに。
 
プニプニの手の柔らかさと大きさと、温もりを忘れた。
 
忘れないように眠る前に握る真似をして眠りについていたのに。
 
彼の匂いが染み込んだ毛布を洗った日はコインランドリーでいつまでもうずくまって泣いた。
 
 
あんまりじゃないか。
 
 
グローバルってなんだったの?
国際化ってなんだったの?
 
キラキラしたキャッチコピーやポスターや教育者の言葉に誘われて「これからは世界の時代だ」って言ったじゃないか。
 
貴方達偉い人が掛けて歩くように促した橋を渡った私は、その橋の先でやっと自分にピッタリな片割れを見つけたのに。
 
彼に出会って私は1億2000万人の孤独の海の中から出て、やっと息ができた気がしたのに。
 
いつも気が強くて、
言葉がきつくて、
せっかちで、
 
どうしようもない私を、呆れるほどの能天気さとくりくりの目にうつして大きく笑った。
 
彼といれば私は、怒りの感情や、爆発しそうな衝動を蒸発させて、彼とおんなじように呑気で優しくいられるのに。
 
怒って喚き立てる私に、
 
「そんなに一生懸命たくさん話してくれてありがとう。」
 
って受け入れてくれる人、私はもう見つけられないよ。
 
世界に掛けられた橋を何度だって往復して、自分のためにも日本のためにも一生懸命限界まで働いて、壮大な話でも両地を繋いでいくために、次の世代のためにその橋を補強できるように頑張ろうと思ってた。
 
それなのに、突然橋は壊されて、
私は一瞬にして最も大切な片割れに夢の中でしか会えなくなってしまった。
 
何回も何回も後悔した。
 
あの時めんどくさくて、コンビニに行ってる彼をホテルの部屋で待ってた時ついていけばよかった。
 
あの時喧嘩したけど、もっと楽しく陽気な思い出を増やしておけばよかった。
 
就職しないで香港の大学院に進学すればよかった。
 
ワーキングホリデーのビザを取ればよかった。
 
泣きながら何度でも大きな声で返してくれよと絶叫した夜があった。
 
次の日会社に行って幸せ新婚家族の週末のお話を聞いて、そこらじゅうにあるものを投げ散らかして発狂したい気分にもなった。
 
羨ましくて狂いそうだった。
 
欲しいものなんてひとつもない。
 
元々あったのを返してくれるだけでいい。
 
私にあの温もりと、優しい手を返して欲しい。
 
四角の画面から彼を出して欲しい。
 
私たち、当然のように手を繋ぐ権利なんて意識するまでもなくあったはずでしょ。
 
2年半経った後も、私たちはずっと一緒にいる。
 
遠距離恋愛を始めた頃、「1ヶ月に一回でも悲しくて辛い」と泣き喚いた私なのに、2年半会えなくてもまだ彼と一緒に歩いていく未来を死守するために毎日なんとか踏みとどまってる。
 
たかが恋愛。
 
恋愛ごとき。
 
日本だけじゃなくて、このアジアにはまだまだ恋愛は浮ついたもので娯楽や贅沢品に該当すると考えている人は本当に多い。
 
それでも、この先どんな世の中に生きていくのかを考えたら、もっと人間を人間たらしめる感情を大切にしたいと思う。
 
人間から感情をとって何が残るのか。
 
感情的という言葉が悪い言葉として使われるようになって久しい。
 
でも、感情を抑圧して迎える未来は何?
自分の感情を殺して、
お家のために、
ご先祖さまのために、
国のために、
 
自分で人生の伴侶も選べない時代に戻りたいのか?
 
私は嫌だ。
 
外国人と恋愛するならその覚悟をしろ?
 
私たちは世界に向けて掛かっていた橋を渡り、そこで愛する人を見つけただけ。
 
そんなことを言う人は、橋を渡る時に自分の渡ってる途中で橋が壊れて自分が落ちても、
「そこまで考えて橋を渡らなかった自分が悪い」
と言えるのだろうか。
 
 
私はもう十分待った。
会えない時間を資源に本当にいろんなことを頑張ってきたしお金も貯めた。
 
そろそろお月様には飽きてきた。
黎明の頃、朝焼けが見たい。
 
他のものも、お互いの肉眼で同じ時に同じ空間で。
 
私は綺麗なバッドエンドも、
自己責任論の果てにある美しい諦めも拒絶する。
 
ここまで耐えてきた私も、他の人たちも全員幸せになる権利があり、そうなるように決まっている。
 
私には、彼とのハッピーエンドしかいらない。
 
代わりのものなんていらない。
新しいものなんてもっといらない。
 
だから、当たり前の温もりをこの手に返してくれよ、今すぐに。

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