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無職になった窓際教員はどうなった⁉

2024年3月31日に9年間つとめた学校教員を退職しました。
翌日、4月1日からは無職のおじさんとしてやっていくことになりました。
とはいえ、私は5月20日からマレーシアの現地採用として働くことが決まっています。一応ですが・・・

そんな私が無職になって1週間たちます。
無職ってどんな感じか、現段階の状況をお話ししたいと思います。

ストレスフリー

学校に勤務していた時は、多くのストレスを抱えていました。
私は自称日本一できの悪い教員でした。
仕事のない窓際教員でした。はっきり言えば年収650万円をコスパよく稼いでいたということです。
仕事がないのもかなりのストレスになります。
仕事がなければ家で好きなことをしていていいよというわけでもなく、
学校に行ってやることのない日々を送っていました。
無駄に過ぎていく時間にストレスがたまる一方でした。

しかし、無職生活ではストレスはほぼありません。
まわりの目を気にすることなく好きなことができるわけです。
ストレスはほぼありません。
やりたいことがありすぎて、なかなかやりたいことが進まないというストレスはありますので、ここは改善していかなければいけませんね。

春っていいなあと感じる

教員生活を9年間やっていて、そのうち7年間は春が憂鬱でした。
いつも級外を言い渡され、その恥ずかしさと自分への不甲斐なさで
3月から4月中旬にかけては本当に憂鬱でした。
しかし、今年の春はとてもすがすがしい。
春に咲く花一本一本が美しい。
山道を一人歩くときの気持ちよさ。
本当にすばらしい。

サザエさん症候群がない

いつも日曜日になるとサザエさん症候群になっていました。
月曜日が嫌いでした。
これは教員生活に限らず、民間に勤めていた時も自衛隊時代も感じたことです。
自衛隊時代は、東京から新潟に土日に帰ったりするわけですが、
夕方5時ころに乗る電車&新幹線のもの悲しさときたら今でも忘れられません。
東京駅に降り、地下鉄丸の内線で池袋に行き、東武東上線で東武練馬まで乗り、練馬駐屯地に戻る。
あ~今でも思い出すともの悲しい。
民間企業では、シフト制で必ずしも土日が休みではない。
だから、休みが終わる夕方はとてもさみしい気持ちになったものです。
まあ教員生活でもだいたい同じです。

サラリーマンでいる限りはこのサザエさん症候群から離れられないのでしょう。これは一種のサラリーマン症候群なのです。
だから、サラリーマンのような働き方から脱しないといつまでもついて回ります。

これからは人間関係を大切にしたい

私ももう41歳です。
年齢的に仕事を自由に選べる立場ではありません。
だから、仕事に期待することなく生きていきたいと思います。
これからは、仕事より人との関係をうまく築いていくということに力を入れていきます。
所詮人間の悩みのほとんどは人間関係です。
それならば、人間関係を良好にしていくということが、
ストレスを少なくするためには大切だと思います。

教員生活最後の週に気の合う教員仲間と2人で食事をしました。
はじめての食事でしたが、「こんなことがあった、あんなことがあった」と、いろいろ話すことができました。
やはり、そういう機会はとても大切なのだということに気づきました。
マレーシアに行ってからは積極的に仲間とかかわっていきたいと思います。

まとめ

教員を辞めて5月20日まで無職なわけですが、
無職生活を楽しみたいと思います。
本当に無職はいいですよ。

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