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社会性の低下(内向的な私)/日常をコンテンツにできる仕事

先々週分をさぼってしまったので2週間分のふりかえり。

社会性の低下

顧客先に出向く仕事が続いた。
かなり久しぶりにフォーマルな恰好で通勤ラッシュの電車に乗り、9:00-17:00を仕事に充てる。特に都心の駅では改札から現地に到着するまでになんだかんだと15分くらい。結果的に1日で4kmくらいは歩くことになる。対面で多くの人と接した。普段はノーマスクにしてしまっているけど、まだ8-9割くらいの人が外していないので一応顧客の方針に合わせられるよう鞄には入れておく。

たまにこういう(規則正しい)機会があると、在宅ワークは効率が良いけど、通勤している方が健康と社会性が保たれるな、などと感じる。

特に東京かつ都心では、歩いたり階段を登ったりする時間が多く、無意識なうちに結構な運動量になる。また、スーツなどフォーマルな恰好は見た目や体型変化にも気づきやすい。

加えて、社会性は連続的な人との関わりの中で維持される。毎日誰かに挨拶し、何気ない会話を交える。その習慣が無くなってしまうと、少なからずコミュニケーションスキルは落ちていく(少なくとも私の場合は顕著)。人と過ごし続けることへの耐性というか。

ひとりで仕事をしている状態を「楽」に感じる人と「孤独」に感じる人がいて、完全に前者である私は新しい出会いの場に出かけることも割と億劫に感じてしまっている。(たまに誘い出してくれる友人にはとても感謝してますありがとう)

この状態は元来の内向的傾向を反映しているなぁと思う。会社員時代、毎日定時に会社に出勤することで鍛えられていた筋肉が大分ゆるくなってしまっているんだろう。
この楽で心地よい状態を維持していて良いものか、もっと外に出ていった方が良いものか。まぁ何らか筋トレはしなきゃあかんよね。

人生をコンテンツにできる仕事

4/20、お誘いを受けて奇妙礼太郎氏のアコースティックライブ@下北沢440。
名前だけ知っている状態で、曲を聴きこんだことがなかったのだけど
とっても良かった…。

数日前からspotifyでにわか的に曲を覚えた程度でも十分楽しめたし、肩の力の抜けた関西弁MCをはさみつつ、「青のり、全然青くない~♪」と歌う、お好み焼きの歌でまた和んだ。あの歌タイトルあるのかな。笑

些細な出来事や感情も含め、すべてを歌詞にして世に出せる、生活のすべてをコンテンツにできるのがアーティストという仕事なんだろうなぁ。「お好み焼きがおいしい」とか「青のり、青くないやんけ」みたいな日常から、失恋、病気などの不運なことまで。作品として世に出せる、誰かに届けられると思うと、日々の出来事に対する観察眼が養われたり、物事への捉え方が多面的になりそうな気がする。敬愛するサカナクションの山口一郎氏も「この時代、この出来事を歌にして届けたい」的なことをよく言っている(たしか)。

そういえば、ひらやすみの真造圭伍氏による「悪性リンパ腫で入院した時のこと」を読んだときも似たようなことを感じた。タイトルの通り、33歳で悪性リンパ腫を告知され入院した時のことがフラットかつリアルに描かれている短編。ネタバレになるけど、最後にこんな描写がある。

悪性リンパ腫と知った時、こう思ってしまった。
「不幸をくれてありがとう」
「これできっと次の連載が書ける」—と。

真造圭伍「悪性リンパ腫で入院した時のこと」
真造圭伍「悪性リンパ腫で入院した時のこと」

連載のネタがどうしても思いつかなかった中で病の告知をされ入院生活を経た後のセリフ。(淡々とした描写ながら「病気と闘っている」人がいることも描かれている)

コンテンツを世に出すことを生業にすることで、世界を観察する、もしくはすべてを原体験にするような力が身に付くのか。
もしくはそういう力を持っている人が、誰かの心に響くものを作ることができるのか。

必ずしも生業にしていなくても、たとえばこのnoteのような微々たる発信でも、日常をコンテンツにして届けることを続けることで身に着くもの、見えるものはある。そんなことを感じた久々の下北の夜でした。

奇妙礼太郎氏のPodcastもトークが適当すぎて最高です。



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