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双極性障害の私が司法試験に合格する話(99)他人と自分。

「家族だから」ってなに。

「だから」ってなに。

「家族なのに」と思うことが山ほどあった。だから、今更、「家族だから」というのは、虫が良すぎる。それは「友達」や「恋人」にも言える。

家族だから、分かり合える?
友達だから、分かり合える?
恋人だから、分かり合える?

じゃあ、分かり合えないのは、家族じゃないの?

排除するのは嫌だ。

だから。

分かり合えなくても、家族。
分かり合えなくても、友達。
分かり合えなくても、恋人。

「家族」とか「友達」とか「恋人」って、
ただの「カテゴリのラベル」にすぎない。
その言葉に価値はない。差はない。
みんな同じ。ただの他人。

家族に、友達に、恋人に、
家族だから、
友達だから、
恋人だから、
という理由で、
もう、期待はしない。
そして期待されても私は応えない。
他人の期待に応えられるほど、
できた人間じゃない。

他人はコントロールすることはできない。思いもしない幸せをもたらしてもくれるけど、思いもしない不幸を運んでくることもある。

どんなに「家族」を大切にしても蔑ろにしてると言われ、どんなに「友達」を大切にしても迷惑をかけるなと言われ、どんなに「恋人」を大切にしても裏切るなと言われる。言われるという事は私がそう言われるだけのことをしてるわけで。それが私が、タイセツにした結果だ。どんなに、「私は大切にしたんです!」と叫んだって相手からしてみれば私はひどい加害者でしかない。

だから、私は「他人」を大切にするのは向いてない。というか、私の大切にする方法では、一般的に大切といわれているものの結果が、伴わない。これだけエラーを繰り返しているのだから、もうそろそろ私はわかった方がいい。

でもまだ、大切にしてこなかった存在がいる。

それは、「自分」。

最後のチャンス。

大切を「自分」にやってみる。

自分を大切にすることによって、他人に迷惑をかけることがあるとするならば、もうそれは仕方ない。だって、私は他人を大切にしても迷惑をかけるんだもん。どちらにしても同じことなのだから。でもまだ「自分」を大切にすることをやっていない。だから試す。

それでダメなら、その時にまた考える。

今は、自分を大切にすること。それを考えているところ。






一昨日、ちょっとしたことがあり、昨日一日、「他人」のことで怒りや悲しみが吹き出して、すごく疲れた一日だった。「自分」を大切にするのを忘れていたので、頭の中を整理。

朝気持ちよく起きる。
布団を畳む。
歯磨きをする。
シャワーを浴びる。
洗濯をする。
バナナを食べる。
司法試験の勉強をする。
仕事をする。

全部、自分を大切にする上で欠かせない行動。それを妨害する「他人」が近くにいるなら、そこから離れるだけ。攻撃はしない。排除はしない。自分が、離れればいい。家族であることに変わりはない。ラベルにすぎないのだから。ラベルを貼ったまま、奥の方へしまっておけばいい。

まだまだ、「家族」だから大切にしなきゃいけないとかそういう概念に囚われてる。散らかったら片付ける、それだけ。

だけど、「自分」をタイセツにしだしてから、気分の浮き沈みが、突然のことと思わなくなった。沈む時、上がる時の前兆がわかる。それがわかるだけで、生きるのがしんどくなくなってきた。気分がいいとか悪いとかを感じない状態が、私にとってとても気分の良い時。そういう時間が少しずつできてきた。

それなのに、ちょっとした、「他人」の行動に影響されて、すぐに、タイセツにする対象を忘れてしまう。すぐには難しい。

司法試験の勉強と一緒。少しずつだな。

でも、そんなこと考えるより、司法試験の勉強してる方がよほど楽しい。

なんでこんなこと考えて一日が終わってしまうんだ。。。なんでなんだ!

流石に今日にまで昨日の悩みを持ち込みたくないのでここに吐き出して終えるとする。ふう。

そもそも、大切って、大きく切るって書くよなぁ。

なんでそんな字書くんだろ。

文字通り、私は、本当に大きく切ってるんだろうな。

切る、に他の意味があるのかな?

七に刀...

七人の侍?

ああ、訳がわからない。

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