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原作か脚本かではなく作品への愛

 最近、ずっと世間を……というかネットを賑わせている話題について私もちろっと書いてみようと思います。こういったことはずいぶん昔からあることですが、SNS社会の弊害か、今回はとても残念なことに悲劇が起こってしまいました。心より哀悼の意を表したいと思います。
 私は、仕事柄原作も脚本もどちらもやったことがあるので多少はどちらの状況もわかるかなと。
 元々は外注のシナリオライターなので滅私に関しては慣れがあります。ゲームのシナリオって複数人で書くことが多いので個性を出し過ぎるとクオリティ管理が大変なんです。ディレクションもやっていたのでそのあたりのことはよくわかっているつもりです。メーカーさんの意図に従って作られたキャラを動かし、ストーリーを織り上げていく作業においては個性はときに妨げになります。そういう意味では、原作ありの脚本も同じことが言えると思います。
 とある人気ゲームシリーズのドラマCDのお仕事をいただいた時、そのゲームを全部クリアしました。クリアした上でキャラ分析をして、そのキャラの性格、口調などを把握した上で一緒に脚本担当した方と作ったプロットを基に書きました。そこに文音というライターの個はありません。あるのはゲームのキャラが繰り広げるドラマを織り上げる手だけ。なぜなら、そのドラマを聞くファンの皆様はそのキャラたちを楽しみにしてらっしゃるわけです。別に文音の文章なんかどうでもいいわけです。セリフ回しが変わったりしたらそれこそ怒髪天なのではと思います。そこは原作を預かる身として忘れてはいけない部分です。ファンありき。原作ありき。それは絶対に忘れてはならないことです。
 逆に原作側になったことがあります。「隣人」というホラーノベルを舞台化していただいた時のことです。自作品の舞台化は昔から夢だったのですが、本当にたまたまいいご縁がありまして朗読劇にしていただくことになりました。
 舞台なので様々な制約があります。そんな中、できる限りを尽くして原作に忠実に脚本を作っていただきました。長時間の芝居に役者の皆様方も一生懸命に取り組んでくださいました。私ももちろん協力は惜しみませんでした。相談できる場や時間を設けたり、できるだけ役者さんに寄り添う努力をしたつもりです。そうして、素晴らしい、本当に素晴らしい舞台を作り上げていただきました。皆様には感謝しかありませんし、今でもいえ、一生忘れられない思い出です。
 何が言いたいかというと、作品を支えるのは“愛”だということです。作者の愛、ファンの愛、関わるあらゆる人たちの愛。どれが欠けても、いい作品にはなりません。私が原作付きの脚本を書く時の愛は滅私。ファンの方が求めているであろうキャラを出力するのが私の愛です。原作者としての愛はもちろん作品に対しての愛ですが、自分が求めるもののためにする努力も愛です。関わってくださる皆様が仕事をしやすいように協力をすること。それも愛です。
 どちらが上でも下でもなく、それぞれがそれぞれの立場でするべきことを愛を持って取り組めばいい作品ができるはず。
 私は、そう信じています。

 最後に。
 ドラマ化も映画化も舞台化も原作者に入るお金は微々たるものです。数字がほとんど約束された人の作品を褌にして相撲を取ってるくせに預かった作品を大切にできないとか、原作者を尊重できないとか、人としてどうかしてる。畜生道に堕ちるがいい、と申し上げて締めくくりたいと思います。

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