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書けない私の価値

 そろそろ2023年も終わりだというのでふと脳裏によぎったことでも書いてみる。いわゆる「よしなしことをそこはかとなく書きつくれば」というやつなので、気楽に流し読みしていただければと思う。

 ひものと出会って、そろそろ20年近く経つんじゃないかと思う。ある日であった漫画が好きで好きで好きで好きでその作者大明神様にmixiで知り合った時に恐らくこいつ頭おかしいんじゃないかと思われそうな“大好きアピール”をしまくったと思われる。そんな私が、今、ひものと一緒に何かを作っていて、相棒と呼ばれる立場になるなんて、当時の私は一寸も思ってなかったと思う。好きな人とは一緒に仕事をしたい人間なので、一緒に何かを作る、ということは当然(当然て)視野にはあったのだけど、一緒にエロゲを作り始めた時に、描かれた線にほれぼれして線画を舐めまわしそうになったのは今も昔も変わらない。今見ても、昔一緒に作ったエロゲはいい出来だと胸を張って言える。ほんと、エロいから。たまらんから。つまり、今もそれができる立場にいることが私にとっては奇跡なわけだ。
 そんなこんなで結構長い付き合いになる私たちだが、間に何もできない時期、というのがお互いにあった。会社が潰れてしばらくはゲーム実況者をやってたりとか、子育てとパートでくたばってたりとか。ひものはひもので大変な時期があって(今でも大変だけど)、本当に何も作ってない時期というのが数年単位であったのだ。

 それが、何の因果かまたゲームを作ろうということになり、乙SUN倶楽部を作った。
 その間ちょこちょことひものの自信のなさというものに触れていて、様々な誹謗中傷を受けるということは聞いていた。私にすれば神にも等しい存在がなんでそんな目に合うのかいまだもって理解に苦しむんだけど、嗜好の画一化が顕著なお国柄だから”こうあらねばならない”に当てはまらないとそれは悪だと見なされるのだろうな、と想像はつく。
 でも、ひものは私にとって唯一無二だし、ひぽぼあ教信者はみんなそう思ってるはずなのでやっぱりひものはすごいのだ。神なのだ。エロくて渋くてかっこよくてかわいくて珍妙で不気味で……つまりどんなキャラでも魅力的に描けるというのは本当にすごいことなのだ。
 絵だけじゃない。乙SUN俱楽部の作品のシステム周りはひものが担当してる。ゲーム性、ゲームバランス、UI、どれを取っても彼女のこだわりは本当にすごい。素材を一から描き起こしたり、デバッガー(うちの息子)から上がってきたバグ報告に対しての反応も早い。とことん、操作性や見栄えを追求するこだわりがいつ見てもすごいと思うのだ。本当にすごい。

 ……と、ここまで相棒への愛をうっとうしいくらいに書きなぐってきたわけだけど、じゃあ、私は……? と思うわけである。
 今、色んな意味で病んでるのでネガネガしいのは勘弁いただいて。
 今、私は書けない。note書いてんじゃん、と思うかもしれないけど、これは全く違うものだ。書き散らかしの散文に商品価値はない。というか、そもそも私の文章に商品価値があるのか自問自答を繰り返す。
 ひものの描く絵が好きだ。ひものは私の文章が好きだと言ってくれる。それでも私は、初めてシディガンを見た時の衝撃から立ち直れずにいる。あ、初めて読んだひものの漫画の主人公のことなんですが。渋くて、アウトローっぽくて、それでいて面倒見がいい。人間性がにじみ出るキャラに打ちのめされて、なんてすげー絵なんだ、こんなの文章いらねえよ、全部こいつが表してるよってなったのを覚えている。
 今の私はひものを貶めていないかと立ち止まり振り返る日々だ。変にライターと組んでるから作りたいものが作れないんじゃないの? とか。そもそも書けないライターが何の役に立つの? 書けたとしてももはや私不要じゃね? ひものは私がいなくても作れるのに私の居場所を作ろうとしてくれてるのではつまり私は足を引っ張ってるのでは。

 そんなことを日々考えながら、それでも求められれば嬉しいと思いながら文章を書いてる。
 でも、ひものの足を引っ張ってるだけなのだとしたら、私は私が許せない。そんなことを思いながら、今日も心にチクチク刺さる棘を書き散らかしている。

読んでいただくだけでも十分嬉しいですが、サポートいただくとおいしいものを食べたりして幸せになれます。私が。