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いま、歌舞伎はどう変わる?―伝統と革新を支える若き役者たち

※この記事は宣伝会議が主催する「第45期 編集・ライター養成講座」の卒業制作として執筆し、優秀賞を受賞しました。(2022年12月に取材)


歌舞伎はなんでもありのエンターテインメント

歌舞伎が好きだと言うと、大抵の人から「日本の伝統芸能だから一度は観てみたい」という声が返ってくる。
興味がないわけではない。けれど、きっかけがなくて観たことがない、難しくて寝ちゃいそう、歌舞伎が敬遠される理由はさまざまだ。
文化庁がおこなった令和4年度の世論調査でも、1年間で伝統芸能を鑑賞した人はわずか2%。新型コロナウイルスの影響もあり、3年前の8%から大きく減少する危機的状況にある。

歌舞伎はよくわからない。それは、世間一般の歌舞伎に対するイメージが、教科書に載っている情報から更新されていないことが原因の一つではないだろうか。
伝統芸能という言葉の重みで伝わりづらいが、歌舞伎は本来、大衆文化から発展したもの。その在り方は時代に沿って変わってきた。
主要な演目だけでも約300作品。種類は大きく3つに分かれ、忠臣蔵や源義経&弁慶など、武家社会の人情を描く「時代物じだいもの」、遊女と優男のラブストーリーなど江戸時代の庶民を描く「世話物せわもの」、踊りをメインとしながら演劇要素も楽しめる「舞踊ぶよう」がある。
人気の話題やスキャンダルをいち早く取り入れてエンターテインメントに仕立て上げてしまうのが歌舞伎。歴史や神話から恋愛、殺人事件まで扱うジャンルの多さには、面白いことに貪欲であろうとする歌舞伎の精神が伺える。

「歌舞伎は演目によって時代や形式がさまざま、化粧の仕方やセリフ術も違う。歌舞伎自体にいろいろありすぎるんだから、歌舞伎っていうものを閉じ込めすぎない方がいいのかなと思う」
そう語るのは歌舞伎役者の坂東やゑ亮ばんどうやえすけさん(29)と尾上音蔵おのえおとぞうさん(35)。 

(左)坂東やゑ亮さん (右)尾上音蔵さん

舞台上でいつも華麗な立廻りたちまわりを決めているお二人なのだが、筆者がその名前を知ることができたのは、インスタグラムの投稿がきっかけだ。


歌舞伎を支える名題下役者たち

歌舞伎役者がSNSというと意外に思われるかもしれないが、今はツイッターも呟けば、インスタグラムも投稿する。コロナ禍で公演中止が相次いだ2020年にはユーチューブ公式チャンネル「歌舞伎ましょう」が始まり、普段見ることのできない舞台裏の紹介動画など、役者本人たちが企画しているというのもファンには嬉しい。

こうした流れは歌舞伎全体の活性化にもつながるが、特に役者の身分制度が根強い歌舞伎社会において、フラットな発信源であるソーシャルメディアは、やゑ亮さんや音蔵さんのような「名題下なだいした」と呼ばれる役者の光明だ。

この名題下とは歌舞伎役者のランクのことで、群衆や立廻りたちまわり(複数人で切り合ったり、格闘する場面)の一人として舞台を盛り上げるのが「名題下」である。歌舞伎のチラシに名前が載るのは主要な役者のみ。名題下は役者の名前どころか、どの演目に出演しているかもわからないので、本人がSNS発信する出演情報が頼りだ。

名題下が舞台で注目されることは少ない。しかし主役を輝かせようと努力する彼らがいるからこそ、華やかな舞台が成立する。
必要不可欠な存在である名題下役者たち。そのほとんどは一般家庭から歌舞伎の世界に飛び込んできた。
世襲のイメージが強い歌舞伎だが、実は歌舞伎役者の約3分の1を占めているのは、歌舞伎と縁のない一般家庭出身者なのである。


「格好いい」の夢を追って

坂東やゑ亮さんは師匠に直接弟子入りするかたちで役者の道に入った。
15歳で福岡から単身上京して弟子入りした当時のことを「勢いでした」と笑って振り返る。

坂東やゑ亮さん。立役。坂東楽善一門。1993年生まれ。
2019年1月『姫路城音菊礎石』の立廻りで国立劇場特別賞。

幼少期は博多の劇団に所属。歌舞伎の舞台に子役として出演するうち、現在師事する坂東彦三郎と出会った。その優しい人柄に惹かれて、自身も歌舞伎役者になると決意したのは、なんと小学3年生のとき。

「漠然と、『将来の夢=歌舞伎役者』ってカッコイイなと思ったんです。子役をしていたときは歌舞伎の内容や芝居の話は全くわかっていなかった。でも楽しかったですね。お客さんから拍手をもらえたりすると、ちょっと快感を覚えたりして(笑)」

その後も歌舞伎への情熱は冷めず、背中を押してくれた両親の助けもあり、中学卒業と共に坂東一門の弟子となる。しかし思い描いていた歌舞伎役者の世界とはギャップの連続だった。

「歌舞伎の知識ゼロで弟子入りしちゃったので、どんなことをするのか全然知らなくて。良い役とかできるのかな?って思ってたら、洗濯物を洗ったり、化粧道具の整理とか雑用ばかりで。最初の3年くらいは悩みましたね」

先輩に怒られながらも徐々に仕事を覚え、16歳で初舞台を踏む。先輩にずいぶん世話を焼いてもらったというが、今は多くの後輩を指導する立場だ。
「一度役者になると言い出した手前、後には引けなかった」というやゑ亮さん。柔和な表情からは伺い知れない、芯の強さに驚かされる。

一方、尾上音蔵さんは幼少期を南アフリカで過ごした帰国子女。小学生のころからストリートダンスや市民参加型ミュージカルなどに親しみ、大学時代は友人と劇団を主宰するなど、常に演劇が身近にあった。
歌舞伎を初めて観たのは大学生のとき。なぜか惹かれるものがあったという。

尾上音蔵さん。立役。尾上菊五郎一門。1987年生まれ。
国立劇場第20期歌舞伎俳優研修修了。2019年1月『姫路城音菊礎石』の立廻りで国立劇場特別賞。

「歌舞伎はよく知らないけど興味はありました。自分たちの劇団は時代劇じゃないのにチャンバラを取り入れたり、わけわかんないとこにツケ(木を打ってバタバタと大きな音を出し、セリフや動きを強調する歌舞伎独特の演出)を入れてみたり(笑)劇団☆新感線も好きなんですけど、あれもかなり歌舞伎的な要素が入ってるじゃないですか。僕の中の好きなものとして、歌舞伎がずっとあったんですよね」

転機は大学卒業後、たまたま見つけた国立劇場の歌舞伎俳優養成所の募集に「面白そうだなと軽い気持ちで」応募したのがきっかけだ。現役役者の講師陣から2年間の指導を受けて歌舞伎の基礎を習得するのだが、研修1年目で観た尾上菊五郎の芝居が衝撃だったという。

旦那様(菊五郎)がめちゃくちゃ格好よくて、しびれました。自分は初心者だったので、歌舞伎の難しい演目はまだ分かんないなって感じだったんですけど、もう明らかに格好いい。この人の弟子になりたいと憧れました

その後、念願叶って尾上一門に弟子入りした音蔵さん。菊五郎の江戸っ子な感じが好きだというご自身もまた、舞台上できびきびと清々しい芝居をする。

歌舞伎の家に生まれた役者と違い、外から歌舞伎の世界に入ってくる人たちは年齢も経歴もバラバラだ。立廻りが好きだから、古典芸能に携わりたいからなど、その理由も様々だという。
入った経緯は違えども、今では名コンビと呼ばれるほど立廻りの息がピッタリのやゑ亮さんと音蔵さん。
そんな二人に役者としての想いを聞いた。


一言のセリフに詰め込む、勉強の日々

普段、名題下はセリフが一言あるかないか。しかし年に一度、良い役を演じる機会がある。国立劇場で開催される「稚魚の会・歌舞伎会合同公演」という勉強会だ。2021年、音蔵さんは師匠・尾上菊五郎の当たり役「魚屋宗五郎さかなやそうごろう」にも挑戦し、見事に演じきった。
通常の公演では演じることのできない大役をあえて勉強する意味とは何なのか。

「一言のセリフが歌舞伎の一部になるじゃないですか。せっかく立廻りで活躍して、そのあとの一言でズッコケたらカッコ悪いから(笑)勉強会では本来、手の届かない大きな役を背伸びして演じます。そこで勉強したことを、 本興行のセリフ一言に詰め込む。たとえ一言であっても、たくさんの役を勉強しないと上手くならないんです」とやゑ亮さん。

初めのころはどれだけ自分が派手に立廻れるかを意識していたという音蔵さんも、大切なのはお客さんを江戸時代にタイムスリップさせるような雰囲気づくりだと気付いた。
「侍でも町人でも、本当にこういう人がいるんだなって思ってもらえるようにしたい。僕らはお客さんを舞台に引き込む部分を担っているから、自分が目立つかどうかより、お芝居全体の構成要素として空気に馴染んでいるかが大切なんです」

勉強を積み重ね、舞台の基盤を支えるために献身する。そこに込められた真摯な思いに、切なさすら感じざるを得ない。
彼らの活躍を広く知ってもらう機会があれば歌舞伎ファンの底上げにもつながるはずだ。やゑ亮さんたちはこれまで舞台上で難しかったことを、ソーシャルメディアの力を借りることで解決しようとしている。


伝統を発信するということ

「僕たちって舞台上であまり目立たないじゃないですか。だからSNSは『こんなことをしていますよ』ってアピールする場」とやゑ亮さん。

「僕たちが見どころや注目ポイントを発信することで鑑賞が少しでも楽しくなれば」
とやゑ亮さん。

歌舞伎の立廻りはとてもアクロバティック。主役と戦って切られたり投げ飛ばされたりするときに見せる「トンボ」と呼ばれる宙返りの技は名題下にしかできない大きな見せ場だ。
「トンボにはどんな種類があるんですか?」というファンからの質問を受け、やゑ亮さんが一つ一つ技を実演しながら解説したユーチューブ動画も好評だ。トンボの飛び方や型の名前を覚えて観劇すると、立廻りのシーンがより一層楽しめる。
やゑ亮さんは他にも歌舞伎で登場する動物シリーズ(劇中に出てくる馬や犬などは名題下が小道具の中に入って演じる)など、普段見ることができない舞台裏をSNSで紹介してくれる。  
最近はファンから観劇後のコメントを残されることが増えたそう。「舞台で一瞬しか登場しない役でも、もしかしたら注目してくれる人がいるかもしれないと思うと気が抜けません」と嬉しそうに語る。

舞台上では披露する機会がない特技をSNSで活かすこともできる。幼少期を海外で過ごした音蔵さんは英語が堪能。メイク動画のように顔に白粉を塗りながら、舞台化粧の仕方を英語で紹介している。外国人からのコメントに英語で丁寧に返事をしているのも素晴らしい。

役に合った立ち振る舞いができる「行儀の良い役者でありたい」という音蔵さん。

2021年10月にはインドの日本文化センターにて、日本に興味を持つ南アジア諸国の人たち向けにオンライン歌舞伎講座を開催。歌舞伎の特徴を歌(セリフ)・舞(舞踊)・伎(立廻り)の3つに分け、音蔵さんが実演を交えながら英語で紹介している。講座の最後にはZOOM越しに音蔵さんと海外の生徒が立廻りの共演を果たし、大盛況に終わった。

だが歌舞伎という伝統芸能を発信することには難しさもある。実際、このオンライン講座のために音蔵さんは師匠に舞の稽古をつけてもらうなど、かなりの時間をかけて準備する必要があった。一つの動画を上げるにも、伝統を伝えるには責任が伴うのだ。
「自分が発信する立場になると間違ったことは言えない。旦那様(菊五郎)に確認していただいたり、許可をもらうプロセスが必要になるので、アカウントをつくって歌舞伎の情報をどんどん発信していくというのは難しい」と音蔵さん。「何をもってして自分が発信するのか?」という意義が重要なのだ。
安易なものを伝えるわけにはいかないという信念と、ソーシャルメディアの流れの早さの間でどうバランスをとるのかが今後の課題となるだろう。


“わからなくて”当然

伝統と革新のバランスも重要だ。遡れば戦後流行したアメリカのタップダンスを舞踊に取り入れた演目もあるくらい、積極的に最先端を取り入れてきたのが歌舞伎。
最近では三谷幸喜や宮藤官九郎など人気脚本家の作品や、2024年には大ヒット漫画「鬼滅の刃」の歌舞伎化も決まっている。2016年から始まった中村獅童とバーチャルシンガー(ボーカロイド)初音ミクのコラボ「超歌舞伎」では、観客がペンライトを振るなどアイドルコンサートさながらの演出がクセになる。新作に意欲的な歌舞伎役者は多く、若者や別ジャンルのファンにも歌舞伎に触れてもらう機会を増やそうとしている。

音蔵さんが師事する尾上菊之助も宮崎駿の「風の谷のナウシカ」や人気ゲーム「ファイナルファンタジーⅩ」の歌舞伎化に尽力している。
音蔵さんは、新作歌舞伎の好きなところは創作の過程だという。

「古典だったらある程度かたちが決まっていますけど、新作には正解がない。一から創り上げるプロセスに歌舞伎らしさを感じます。役者それぞれが持っている『これが歌舞伎だ』というものが違うので、自分が台本を読んだときには思ってもみなかったキャラクターの浮き上がらせ方を知ることが出来て面白いです」

音蔵さんにとって「これが歌舞伎」といえるものは?と質問すると、うーんと唸った。まだ確固たるものは見つけられていないという。
「これは本当に難しいです。正直、旦那様(尾上菊五郎)がやればどんな役でも歌舞伎になると思います。けど僕はまだ旦那様のように歌舞伎が体に染みついていないので、新作をやるうえできちんと古典の勉強をすることが大事です。少なくとも自分の正解は、古典の中にあると思います


2022年12月市川團十郎襲名披露公演に賑わう歌舞伎座。
やゑ亮さんと音蔵さんも華やかな立廻りを見せた。

古典好きの歌舞伎ファンからは、新作に異を唱える声も少なくない。宮藤官九郎の新作歌舞伎では、舞台上でゾンビが踊る奇抜な演出に、驚いたお客さんが帰ってしまったという話もあるくらいだ。しかし、一見するとハチャメチャな設定でありながら歌舞伎として成り立ってしまうのも、根底にはきちんとした伝統があるからこそ。
音蔵さんは新作歌舞伎も古典と同じように「受け継がれるかどうか」が重要だという。

「若旦那様(菊之助)もおっしゃっていましたが、ただ一回上演しておしまいにしてはいけない。再演を重ねてまたひとつの古典にすることが目標です」

新しくできたものに対して反発はある。しかし、もともと歌舞伎の語源である「傾く(かぶく)」とは「並外れた者」という意味。好きになるも嫌いになるも自由、歌舞伎はあえて人の心を揺さぶり続けてきた。

やゑ亮さんが言った、今も心に残る言葉がある。
「僕たちが今演じている役は、元を辿れば何百年も前から受け継がれてきたもの。たとえ末端の役だとしても、先輩たちが細部までこだわって演じてきたものは大切にしないといけない」

歌舞伎をつなげてきた人たちに対するリスペクトが革新を支えている。
歌舞伎は400年以上前から進化し続けるエンターテインメント。だから「わからなくて」当然なのだ。伝統芸能を鑑賞すると気構えずに、進化の過程を今に伝えようと奮闘する歌舞伎役者たちの姿を、ぜひ劇場で観てもらいたい。

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