将来の夢

私の将来の夢はある日必然的に決まった。小1の時、母に病気が見つかったことがきっかけで、私は母の病気を治すために生まれてきたのだと思った。当時の将来の夢は当然のことのように医者になることになった。

小学生の頃、テストの成績が良く、また、ある本で医者になるために私立の中学に行く女の子の話を読み、私は中学受験をすることに決めた。中学に行ってから勉強をしなくなった私は、どんどん医者を目指す子たちと離れていった。それにも気づかず、だからと言って努力をするわけではないのに、私は医者になることをあきらめなかった。もしかしたら夢を持っている自分に酔っていたのかな。

さすがに高校生になり、現実的ではないと親に説得された私は薬学部を目指すことにする。周りは自分の将来について自分と向き合い考えていたのに、私は自分と向き合おうとせず、薬学部という理想、体裁だけで決めていた。もちろん理想は大切だけど、もっと考え、悩む必要があったんじゃないかと今なら思う。でも、一度決めたらこう、という頑固なのと、周りから褒められたいと思っていた私。「どうして薬学部に行くの?」と社交辞令のように聞かれる質問には、「親の病気を治す薬をつくるの。」といった理想的な言葉が出てきて、こんな自分を誇らしいと思っていた。

最初はもちろん母を治すこと。を夢と心から思っていたはずなのに、いつしかちゃんとした将来の夢を持つ自分にしか目がいっていなかった。

大学の受験では第一志望に落ち、薬学部とは違う医療系の大学に受かったものの、そこで、なんか違う。と思った私は大学を退学してしまった。

そこで初めて、将来の夢はもう医者をあきらめたときから、無くなっていたことに気づいた。認めたくなくて、薬学部にしたり、医療系の大学に行ったりしたけど、それは自分が意固地になっていたのと、真剣に考えることを放棄したからだった。

その後はまともに夢なんて考えられず、文転し、大学に入りなおすことに。親には本当に感謝しています。

ただ、目的のない生活はかなり辛く、なんで大学で勉強しないといけないのだろう。とか、大学辞めたい。という、二回も大学に入れてくれた親には申し訳ないことばかり考えていました。

今もまだ弱い部分ばかりだけど、1つ発見したことがある。それは、夢を持つ自分じゃなくて、自分がどんな人になりたいかに焦点を当て、考え続けること。

夢を持つことはとてもいいことだと思う。でも、それに固執して考えることをやめないでほしい。それに、夢はなくてもいいとも思う。どんな人になりたいか。どうやって生きていきたいか。考え続けることが大切なんじゃないかな。




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