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第二章 シャツが出来るまでの『2つ目の奇跡』

これは、シャツが出来るまでに私に起こった、
たくさんの奇跡のお話

それから、職人さんのお話を聞く為に
一件一件頭を下げて回る日々。

頑固な職人さん、、、
こだわりのある職人さんである程、
自分の仕事場に入って欲しくないという方も多く、
無名の私なんかの話を、
早々全て聞いてもらえるわけもありません。
それでも、何回も通っていましたが、

ある時に5年ぶりぐらいに
以前の職場の後輩(歳は上だけど、、)に別の用件で電話をしてて、話が盛り上がっていた時に、
『実はうちの実家も染め屋なので、一回見に行く?』
と言われます。

革に凄く綺麗な染めをされている
ある染め屋さんの次男さんにお話を聞いて頂けるチャンスがきます。


帯の仕立て屋で7年修行して、
京都の西陣で沢山の職人さんを見てきて思うこと、
和も洋も学んだ仕立て屋の私にしか話せない話し、
これからの事、、、少しずつ話していました。

するとある日、
別の部屋から1人のおじいちゃんが
急に私の前に座り話し始めました。

『職人の手仕事の価値は商人には理解されにくい。
この価値を解ってもらえて、その手仕事の価値をお客様に伝えられる商人が増えなければ、職人は生活が出来ないし最大限の技術を残すことが出来ない』

ずっと西陣業界で働いてきて、それは物凄く目の当たりにしてきた事です。

『職人の一番の技術のつまった
最高の生地が見てみたいです。
良いものはいいと手仕事の価値を解ってもらえるシステムを作りたいと思っています。』

今思えば、少し生意気だったかな、、、と思います。
けれど、私の今までの経験から、すっと出た言葉でした。

おじいちゃんが少し笑って下さいました。

それから、たわいもない話をして、
帰り際、おじいちゃんが自叙伝的な本を一冊、

『あんた頑張ってるみたいだし、これ読んでみて』

と下さいました。

なごやかに契約成立しました。

帰って、おじいちゃんに頂いた本を読んでみて驚愕しました。

これは、私の中で、
知らないうちに起きた2つ目の奇跡

おじいちゃんの名前は『重野和夫』さん。
知る人ぞ知る日本のブランド『ISSEY MIYAKE』や『ヨウジヤマモト』の生地を染めるSDファクトリーという会社を立ち上げた方です。

ぞわぞわぞわっとしました。
#おじいちゃんなんていってすみません笑

なにやら、知らないままに、、、、
凄い方の話を聞いていた様です笑

私が今から一緒にお仕事をさせて頂くのは、
そこの次男さん『重野泰正』さん。
こちらも日本の名だたるブランドのデザイナーさんとお仕事をされている鹿の子絞り染めの伝統工芸士の方です。

https://kyotojournal.org/creative-kyoto/the-shigeno-family-of-dyers-learning-from-the-past/

どうやら、
強い想いは、経験をも上回って、
相手に伝わる時があるようです。


けれど、そんな方々と、一緒にお仕事をさせて頂けるのだから、私も、今のままではダメで、、、
急いで成長して、
一緒に日本の技術を使って、見たこともないような生地を作りだし、皆がワクワクするような服を作って、良いものを世界中に届けていけるように頑張りたいと思います。

        第3章につづく

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