ヴァケーション

その手を腰にまわすのはやめてと願うけれど
彼の欲望はこれぽっちも耳を貸そうとしていない。
おそらく、だ。
聴こえない声は聴こえるはずなのだ。
ただ手をつなぎたいと、言葉に出せばよかったのか。

息を吸い込む。
9月にあじさいが咲くなんて知らなかった。
信号機の三色が縦に並んでいる意匠も
はじめて見た。

どこに行ったってあじさいは梅雨になったら当たり前に
咲くんだろうという想定しかできない想像力のなさ。
我ながらがっかりしてしまう。

でもそんな単細胞だってよいこともある。
よけいなことをいちいち想像したりして
むやみに悲観的にならなくて済む。
新しいことを発見できたらそれを肴に
美味しいお酒も味わえる。

むやみに悲観的になることはないけど、
それでもやっぱり悲観することはある。
悲観的ではなく、悲観する。
気配があるのだと思う。
それに気付くだけの徴が散見されるわけ。
楽観もしかりだけども。

あじさいが秋に咲く。
雪国の信号は縦配置。
サトシが腰に手を回した。
私は悲しかった。

そんなことをぐるぐると考えながら
スーツケースを転がして路地を曲がる。

呼んでおいたタクシーが時間通りに
到着して待っていた。
運転手に荷物を預けて行き先を告げると、
小気味のよい声で「はい空港ですね」
という返事が返って来た。

窓の外は薄曇り。
残暑なんて言葉、この土地には
ないんじゃないか、というほどの肌寒さ。

サトシのことは好きだったし、
一緒に眠ったことだって何回かはある。
それは恋と呼べるものだったと思う。

そう云う気持ちがいっぺんに
悲しみでざわついたので仰天して
後になってからたどたどしく理由を
追いかけるはめに遭っている。

あのとき手をつなぐと思っていたし
手をつないでほしかったんだ、
どうやらそう云うことなのだけれど。

車はトタン屋根の連なる住宅街を抜けていく。
黄色やピンクのカラフルな色の壁の家が
あちこちに建っていて目を引いた。
雪に埋もれてもあれならはっきりわかる。

ラジオをかけてもようございますか、と
運転手が控えめに尋ねて来たのでどうぞと
答えながら港町特有の訛りを感じないな、と思う。
これから13時30分発の飛行機に乗って
東京へ帰るのだ。

帰ったら、サトシに会うだろうか。

函館空港5kmと書かれた標識の手前で
信号が変わるのを待っているその間、
ラジオからはウクレレを弾く弦音が
軽快に流れていた。

運転手が鼻歌まじりにアクセルを踏んだ。
ゆるやかな、なめらかな滑り出しだった。
今日は渋滞がないので早く着きますよ、
と愛想良い声で彼は云った。

私はあわてて涙をこらえた。

読んでくださって嬉しいです。 ありがとー❤️