“しなやかに生きる”ということ

――凛とした人になる。

これは、昨年末に菅田将暉さんにご挨拶をさせていただいてから、生き方のテーマに加わった言葉だ。

<凛とした>
ひきしまっていて威厳がある。きりっとしていて頼もしい。

言葉を交わしたのは、ほんの一言二言。にも関わらず、私はどうしようもなく影響を受けてしまったのだ。

精悍なのに繊細で、背中にスッと筋が通っている方だった。自分を持っている人の美しさというのだろうか…。「こりゃあ…、たくさんの人が彼の虜になるわけだ」と、一瞬にして腹落ちしたのを覚えている。

もちろん彼は素晴らしい俳優だし、素敵なミュージシャンだ。しかしそれ以上に、人として魅力的なのだろうと即座に悟ったのである。


私にはもうひとつ、生き方のテーマにしている言葉がある。それは、

――しなやかにしたたかに。

ライターを始めたときくらいから、いつ何時も頭の片隅にはこのコピーがいる。

<しなやか>
弾力に富んで、よくしなうさま。
<したたか>
粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま。

いろんなものを吸収できる柔らかさと挫けない粘り強さが欲しかった。優しくて強い人は、いつだって私の憧れだ。

今日お会いしたかたは、まさしくしなやかでしたたかな方だった。

彼女から発せられている空気はヘルシーで、柔らかさが水彩のようにじわりじわりと伝わってくる。画面越しで見ていて「透明感があって可憐な方だな」と思っていたけれど、実物はそれ以上だった。

透明感というものは、美白を超頑張ったからでも、厚塗りのファンデーションの結果でもない。会話や所作のひとつひとつから伝わる純粋さこそ、その人を形作る透明感の正体なのだろう。

容姿も綺麗なかただけど、美醜の話ではなく佇まいがとんでもなく美しかった。

・・・

彼女に出会い、今の自分を受けとめていいような気がした。

インスタ映えする煌びやかさを望むでも、徹底的に律したミニマリストになるでも、余裕があるっぽく見える丁寧な暮らしを目指すでもない。

ちょうどいい暮らし。

なんでもかんでもできなくていいし、苦手を得意にならなくていいし、「これが自分だ」と誇示しなくてもいい。

人類という歴史のなかで、たまたまポッと生まれた自分。

もっと感動に敏感になろうと思う。些細なことで回りが引くくらいに喜んで、ちょっとの悲しみも「私は悲しいんだ!」ってちゃんと認識して。

そうしたら、今よりちょっとだけ息が吸いやすくなるような気がした。


彼女みたいに年を重ねて、またお会いできる機会があったらいいなと思う。そして、「あの日お会いできてよかったです」と伝えたい。


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