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Quietronica懐かしい未来という私のオリジナル作品が出ます


自分がバンドをやろうと思ってた20代後半の時は、まだいろんなことを知らなくて
でも夢ばっかり描いていました。

うんん、今も別の夢とかたくさんの新しい夢はありますが
これが大人になる?なのか
経験をしてゆく?なのか
描いてた夢はいつの頃からか目標になり課題になり
シングルタスクをこなすことが、日々になっていて。

あれ。

これは

あんまり

夢は見てないのかなぁ?



若い頃って一度や二度、いやそれ以上かな?
てっぺんいってやろう、まではなくとも
ものすごいエネルギーで
ものすごい夢を描く力がありますよね。

私は
ミュージシャンとして、シンガーとして
たくさんの人に認知してもらって
たくさんの人に伝えたいことを、
自分を共有したいって、
思い描いてました。

承認してほしい、って気持ち。
でもそれだけじゃない
なんか強い自家発電の欲求。

うん、たしかにあの強さは今の私にはないのかもしれない。




15年くらい前
私がライブ活動するようになったのって、その時の周りのミュージシャンより遅めでした。


私は大学を出て、クラシックからジャズに転向しています。
音大を出て、まっすぐ今の音楽の、歌の仕事について、すごいですねぇ、なんて
今だからこそ言われることもあります。
けど
私としては、その時大きな挫折の時期をへて、ようやく?の今です。

大学の同級生たちは
留学したり、デビューしたり、劇団入ったり事務所入ったり、学校の先生になったり。。
当時は悔しくて、情けない気持ちでいっぱいでした。


私は大学から続けてた結婚式の聖歌隊のバイトをしながら、派遣のOLさんをしていました。
銀座のクラブのあるママさんのところで、派遣のOLやりながら月曜日から金曜日まで毎日修行。
毎日音楽をくっつけて生きてるんだけど、世間的には名前を出して活動、ライブしてるわけでもないし。
何にも形になってないわけです。
割と焦るし、やっぱり悔しい日が続きます。

それでも
一応毎日のようにお客様の前で歌わせていただいてました。

優しくも厳しいお客様に
『あやちゃんの歌はまーまーうまいけど、ちっともジャズ向いてないから、うたのおねえさんやったら?』
なんて言われて、むかついて。
情けなくて、悩んでいる毎日。
ママさんにも厳しいこと言われて、泣きながら帰って。
鏡に映る自分は、悔しいばっかり滲んでる不細工。自分が嫌いにもなって。

マイク発声、今で言えばミックスボイス、が出来なくて本当に苦労してたんですよね。





20代前半は、くすぶる自分ばかり抱えてました。

どこにも行けない
どこかに行きたい
多分居場所はここじゃない

そんな気持ちと文句ばっかり自分に向け、人との関わり、コミュニケーションそこそこに、ただ一人で練習してることが多かったです。
ひたすら自分の歌を録音して、どうだったか反省する。
自分のことばっかりで頭がいっぱい。
飛び出したいけど、今じゃないと言われる。
やっぱり傷つくのは怖い。
だから外の世界にはあまりコネクトしないで、大事に今を抱えて生きてよう。

さっき言った承認欲求なんて、一丁前に
なんなら、
言葉にうまくできないだけで
目で態度で、物凄く表してたんだと思います。
振り返るとそれなりに鋭利でした。

20代の時の私を知ってる人には、あやちゃんは頑固だとか、なんか絶対譲れないもの持ってるタイプだとか、この人負けず嫌いだなとか、今思えば、言われていたのかもしれません。

あ、今も変わんないとこあるけど笑笑



必死に歌い手になりたいと
ジャズをやりたいと
音楽をやりたいと

願って、いろんな人に会って会いに行って
連絡をとったりコミュニケーションするようになったら

会いたい人たちに出会えました。
音楽やってる先輩、もいいんだけれど
同世代の同士に、出会いたかったんだ!と気がつきました。

音楽で繋がる縁は私にとって沢山の喜びをくれました。

なにせ今まで、一人きりで抱えて自分の声、歌、音楽って何?ってイジイジしてたのが
誰かに認めてもらう、共感してもらう、アドバイスをもらう、一緒に奏でることで
もっと音楽が、自分が、広がっていくんです。
昼間のOLの時間なんかほんっとにどーででもよくて。
仕事終わってリハして疲れて終電で帰る!!とかになっても、凄いその時間が尊くて。

あー!生きてる!私音楽したかったんだ!!!
誰かと音楽したかったんだー!!!!!


って気がつきました。


音楽への想いが、
かけがえない友達をくれました。
仲間をくれました。
パートナーもくれました。
何より私の一番欲していた、居場所をくれました。




今、こうして昔の喜びと居場所を探してた自分のことを振り返って
あの時は必死に、純粋に、音楽がしたかったんだなぁ、と思い出します。

時が経って、たくさんの出会いがあって、たくさんの別れがありました。

大事なものが変わったり、いきなり無くなってしまったり。
全然違う未来も見えてきたり。
知らぬ間に未来は消えてしまってたり。

こんな私になるとは
15年前の私は、思っていませんでした。

変化に弱い、敏感な私。
自分のことを整理するのにたくさん時間がかかりました。

全くビジネスマインドじゃないんですよね。笑
商売はてんでポンコツで、まだまだ下手くそだなぁ。
人間くささ全開で、日々のタスクがこなせないです笑、本当に情けないですけど
これも自分、受け止めて、一つずつこなしてます。

その情けない私のことも認めて引き受けて、さらそうかな、ってようやく思って。
長く悩んで抱えていたものを一つアウトプットすることができそうです。

残念ながら
20代の時に一人で握りしめていた負けず嫌いはどこかに置いてきてしまいましたが。
それでも自分の迷いや、夢や、思いや、優しさが、涙が詰まった
土屋絢子の塊の、オリジナル作品を出すこととしました。


録音は2018年です。

あの時の私の居場所、居心地、気持ちも全部含めて、発表します。
特に追加したり、変更することもなく。
未完成な自分、不安定な自分のままです。

それでいいかなって。
だから、懐かしい未来ってタイトルにしました。
あの時の私は大事に抱えて、先を向いてゆこうって。

ミックスマスタリングをお願いした
田辺玄さんのおかげで
なんか不確かさというか、不安定感っていうか、透明感と言っていいのか
ふわっとした私のままで
サウンドの世界観を作って頂きました。




人間くさい不安定な感じって時に社会に嫌われちゃうけど

そんな自分もいたよね、いていいよね
そう思いたい時もあります。
(これを見てくれてる、あなたもありますよね、きっと)

自分のダメなとこ、認めてあげないと、進めない時もある。
いいじゃないですか、情動に引っ張られるのだって、人にしかできないことだから。


受け入れて、外に出して、次に進めたら。


そして、誰かに、そんな不安定でも
心地良さだったり逆に安心だったり、寄り添いになればいいなと。

今は思っています。




20代前半の一人だった自分とお酒飲みたいです。
いや、一緒に自分の歌聴きたいかな。

懐かしい未来を聴きながらこれを書いてたら
たくさん、思い出が流れて
たくさん、感謝も出てきて

私はやっぱりポンコツなので、情動に引っ張られ泣いてしまいました。
このまま愛してやろうと思います。笑

そして聞いていただいた方にも
愛してもらえるような、作品になったら嬉しいです。





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