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オペラ深堀のたのしみ。

↑このサイトのちらしは嘆きの橋ですね。水牢に投獄される人が、もうこの世に戻れないと最後に窓から外を見て泣くという。

ヴェネツィアで十人委員会の部屋を見たことがあります。
石仏の如く、壁にはめ込まれたような椅子が並ぶ。
そこに座る一人ひとりの老獪な眼差しなどを想像する。

総督館の大広間は本当に大きかった。
いくつもの集団が、違う角でひそひそと陰謀を練ることができそうな空間。対岸の派閥の声は聞こえない。

陪審員の映画、怒れる男は12人だったか。人がそれくらいいれば、有罪無罪の判決は分かれ、最後には覆ることさえあるものなのに、ここに出てくる30人ほどに増幅された十人委員会の男たちはみな、自分で考えることをしません。
ヴェルディのこういう政治劇での男声合唱の「ど斉唱」加減は、権力になびいて考えない大衆の愚かさを表すよう。

冒頭、男たち30人がどっと出てくるのを見て(身のこなしもあるのかもしれないけれど)「男子校の部活」 という言葉が浮かんでしまい、次に「忠臣蔵」を思い出しました(そりゃそうだ、古典芸能で男がたくさん出てくるやつだもの)。
伊香さんは群衆一人一人に意志を持たせて動かすのが得意な演出家だと思うけれど、ヴェルディのオペラって群衆をひとりの大きなペルソナにしてしまう。総督フランチェスコを除いて全員黒の衣装で没個性。
フランチェスコさえ、「私」は没個性。赤い帽子やガウンを脱ぐ具合で「私」度合いが表されて印象深い。
最後はガウンさえ机上にほっぽかれ全員真っ黒。でも、ボート遊びに興じる群衆だけほんの少し、意志をもつ。

これでもかというアリアのカラオケ大会みたいなオペラなのだけれど、伊香修吾さんの演出は公私混同を巡る葛藤を芯としつつ、
大衆と個人
正義と悪
賢さと愚かさといった
対立要素をシンプルに見せてくれました。

ヴェルディの初期オペラは超美メロの宝庫だけれど、その前の時代からの蓄積がないと歌いまわしが愚直な感じになってしまいますね。歌い切る歌手は素晴らしいけれど。

わかりやすく単純で、音が大きい。
その単純さに凝縮されたそれまでの音楽を知っていたほうが味わえる。
(今、ヘクサコルドワークショップを企画しているけれど)それこそ産業革命で失われた音のキャラクターを知らないと内容が薄く、退屈なものになってしまう気がします。

さて、イアーゴ系オシの私には断然ロレダーノは魅力的なキャラクタです。

流刑になる総督の息子フォスカリと、政敵であるロレダーノのファーストネームはどちらもヤコポなのだ。
このオペラは「二人のフォスカリ」というよりも、「二人のヤコポ」の思いのベクトルを追うのがオモシロイなと思う。

ロレダーノのフォスカリ家への恨みの動機が、あらすじと舞台からではイマイチわからなかったのですが、今日の舞台がとてもシンプルな作りだった故に、色々妄想がふくらむ。

つまり、古典悲劇にある嫉妬の感情というのがあまり出ない劇(と演技)だなと思って、少々もの足りなく思い始めた聴衆わたしは、「誰か、嫉妬を抱えているドロドロ人間はいないのか」と舞台上を追い始めて、ロレダーノに注目し始めたのだった。

。。。あれだけ男がいっぱい出てくるのだ。

一番厄介な男の嫉妬というものの在り処はないのかと。

ロレダーノは家族をフォスカリ家に殺されたと思い込んでいて、復讐としてフォスカリ家を失脚させようとしているというのがあらすじ。
でもそれにしては殺すことはしないし、フォスカリ息子の無実を知っても書類を握りつぶすし。
何か、息子を殺さずにしかも眼の前から消さなくてはなければならない理由があったと思う。

何か他の復讐感情、例えばルクレツィアに想いを寄せたが振られたことがあって、上司の息子に彼女を取られたとかだとドラマ的に分かり易いが、
正直ルクレツィアはそこまで魅力的な女に描かれてはいない。ものすごくヒステリックだし、最後に怖いのは十人委員会ではなくてヨメなんではと思うくらい怖い。
そして彼女の二人の息子はきっと琉球組踊の『二童敵討』の如く恨みを吹き込まれて父の復讐を果たすためだけに育つのだ。おそろし。

ロレダーノは総督/男のフランチェスコに愛されたかったのかなと思います。
ヴェルディのオペラの大きな特徴に父性の強調があるよなと思うんだけれど、ロレダーノがフランチェスコに父(か、男)を見ていて、同じ名前の2世のボンボンは絶対に追放しなければならない邪魔な奴だったのではないかというのがしっくりきます。

流刑地からボンボンが戻ってきてそこに公私を混同した父フランチェスコの愛が一気に向かうのを見て、ロレダーノは苦しんだろう。
私情をなるたけ排そうとするが、眼の前にフランチェスコに愛される息子がいる限りはそれは拷問のようなことで、政治家に徹しようとして目障りなものを自分の前から排除するという方法に出るのはわかる。そのためには、「考えない」周りの男たちは彼にとって都合よく、つまりヴェルディの美メロや斉唱の迫力はロレダーノに味方するのでした。

だから、憎き息子やフランチェスコまで最後狂死してしまったのはホントはロレダーノの本意じゃなかったんじゃと思う。

そして実はフランチェスコはあそこまで老け役ではなく、まだ男としての色気をもつ杖のいらない、愛情深い人だったのではないかと。ただ、心臓が弱かったかも。

これからも推敲すると思うけれど、
まずはシンプルなところ記しました。
そして大劇場の構造は本当に好き。

音楽の如く、解りにくいところも





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