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化粧と服と

鏡で自分の顔を見て、醜い、と思う。それを化粧でどうにかしようとあがいてみても、より一層自分の顔のアンバランスさに絶望し、化粧でごまかそうとした浅ましさも相まって更に自分が醜悪に見えてくる。ダイエットをして痩せてみても骨格までは変えられず、広い肩幅が「お前は女性としての価値などない」と主張しているようだ。

ずっとそんなことから逃げてきたように思う。肌が弱いから、とほとんど化粧をせず、ファッションはわざと男性っぽいものを選ぶ。言葉遣いも振る舞いもそうだ。言葉尻が男っぽい。重いものは率先して持つ。女性の前では格好つける。そうして、「私は女らしさなど求めていませんので」というメッセージを発信し続け、自分の女性としての価値の低さをごまかしている。私にとって「女性らしさ」は、手の届かない位置にある酸っぱいぶどうなのである。

それと同時に、わたしは女性がこわいのだと思う。
男に媚びてはいけない ―特に私のようなものは。揶揄と嘲笑による、疎外という制裁が待っている。
小さな頃は、母が着せてくれるレースやフリルの洋服や小物が大好きだったし、そういうものを着るのが当たり前のように着ていた。あの頃の私が、私の人生で一番女子力が高かった頃だろう。カメラに向かって、まるでお姫様気分でスカートの裾を広げたりしていた。
小学生に上がった頃、私のそんなファッションや態度が鼻についたのだろう、同じクラスの女の子2名から、揶揄と嘲笑を向けられた。「そういうの学校に持ってきちゃいけないんだよ」という言葉。こちらに聞こえないように、けれども確実に見えるようにした、クスクス笑いと二人の視線。かくして、私はフリルやレースを拒絶するようになった。着てはいけない。それは私のなかに、深くインプットされてしまった。
いま思い返すと、その子たちは私のことが羨ましかったのだろうと分かる。子どもにとっての「女性らしさ」の象徴のようなそれらに憧れることは、小さな女の子には当たり前にあることだ。ちょうど小学生低学年のその頃は、憧れは持ちつつもそういうファッションから卒業する時期であり、親も、活発になっていく娘の成長に合わせて動きやすい服装をさせるようになる。そんな過渡期の微妙な時期に、これみよがしにフリフリの服や小物を持っている私。うっとおしいことこの上ない。しかし小さな私がそんな相手の心情に気づくはずもなく、ただただ「着てはいけないもの」と認識してしまい、その感覚を持ったまま今に至る。小さな頃に強くインプットされたものは、そうそうデリートできないのだ。

こじらせている。自分でもその自覚は充分ある。あるが、どうしようもない。化粧やファッションについては、今では多少感覚が緩和されている。が、それさえも「いつまでたっても男性気取りの痛い女」のレッテルが怖いだけ。フェミニンやガーリーと称される部類の服は着ようと思えない。着た瞬間、「なんかごめんなさい」という気持ちになる。誰に謝罪しているというのだろう。恐らく、同じ女性であるみなさんに、である。

女性は集団となって身を守る。共感が命綱だ。だからこそ、女性は女性を監視する。抜け駆けや共通の感覚から外れる人間はいないか、自分たちに害を及ぼす存在にならないか。
小さいころの私はさしずめ「抜け駆け」「精神的苦痛を与える存在」だったというところか。揶揄と嘲笑は、彼女たちからの社会的制裁だ。どんなに小さくても女性は女性。子どもで無邪気なぶん、なお質が悪いかもしれない。

ああ、女性とは、なんと面倒で恐ろしい存在か。
いっそ男に生まれたかったと思っても、本当に男性になろうとは思わないし、彼女たちに迎合しようとするあたり、私だって大して違わない。
良きにつけ悪しきにつけ、どのみち私も“女”なのだ。残念ながら。

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