色気

最近、「色気を感じる」と言われることが増えてきた。

正直、ピンとこない。なんせフェミニン・ガーリーなどという言葉とは縁遠い私だ。ピンとこなさすぎて、毎度初めて言われたかのような気分になる。カマトトぶっているわけでは断じて無い。失礼かもしれないが、あまりに信じられないのだ。

そもそも、色気とは一体何なのだろう。漠然と、でも強烈に、匂うように感じるアレは。
女性には女性の、男性には男性の「色気」の香りがある。性フェロモンは人間には感知できない、または退化した感覚器だという説があるが疑いたくなる。そのくらい、色気を感じる人は強烈に何かのオーラを放っている。
オーラの正体がフェロモンではないとすると、他に思いつくのはホルモンくらいなもの。しかしそれは、オーラを出すスイッチではあってもそれが主体ではない気がする。女性ホルモンが多ければ多いほど色気を感じる女性であるかというと、なにか違うように思うのだ。

色気を感じる人は、同時にどこかアンバランスな、危なっかしい印象を受ける。崩れる寸前の積み木を見ているような、押してはいけないボタンのような。いけない、危険だと思っていてもつい手を伸ばしてしまう、そんな魅力。ゆらゆら揺れるヤジロベエ。絶妙なバランスで立っているジェンガ。真っ白なシーツの小さなシミ。何もない壁にふいに見つけた何かのスイッチ…

色気とは、言い換えれば「性のオーラ」だ。エロティシズム。それをほんの少し上品にした感じ、奥ゆかしい感じが色気なのだと思う。

人はきっと、バランスがとれたものに対してはエロティシズムを感じないのだろう。均整のとれた美しいモデルが裸同然の格好でTVや舞台上に現れることができるのは、そこに過剰なエロさを感じないからだ。エロティックに感じるものは、多少のグロさを孕んでいる。グロさを孕むものは、強烈なイメージを持つが故に、隠したいものとなる。
均整の取れたものはただただ美しい ―神聖さを感じるほど。そうなるとそれは、侵し難く近寄りがたい。思わず触れてしまうような魅力はそこには無い。

生命の営みはグロテスクだ。
香水にはほんの少しアンモニアを混ぜるという。その方が売れるのだそうだ―さもありなん。有名なビーナス像は、よく見ると片方が陥没乳頭として作られている。完璧すぎるものは美しくないという風潮があったとか、神に配慮しただとか諸説耳にするが、何が正しいのやら。ひとつ言えるのは、そうしたほうがリアルで強烈なエネルギーを感じるということだ。思わず手を伸ばしてしまう魅力が倍増する。

ほんのちょっとのアンバランスという、毒。
毒は、多すぎてもいけない。エグみが強すぎると美味しい料理にならないように、隠し味は隠れているから良いのだ。グロさが増えると、性を売り物にした大人のビデオのようにエロエロになってしまう。それは色気とは違うだろう。
××をほんのちょっと。種類と加減はお好みで ―そんな感じ。

そう考えると、間違っても「美人」とは形容されない私への褒め言葉としては、「色気がある」は大健闘だ。多少なりとも努力が認められたようで嬉しくもある。しかし、だからといってモテるわけではないというのが悲しいところ。モテと色気の相関関係については、モテる誰かに考察をお願いしたい。

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