見出し画像

趣味を探す①ー趣味と我慢

趣味:専門としてでなく、楽しみとしてする事柄(広辞苑より)
多趣味:いろいろな趣味を持つこと(広辞苑より)

私は、趣味が多い。数年であっさりやめてしまったものもあれば、もはや習慣化していて、やらないと落ち着かないものもある。

今日は、私の趣味そのものの話ではなく、『趣味を見つけること』について記したい。

なぜこのトピックについて書こうと考えたかというと、私の周りには「趣味がない」と言う人が、多い。

次から次へと、趣味を見つけては飛び回る私には、とても不思議に感じられた。『趣味がない、とは、、、?』

冒頭に意味を記した通り、『趣味』とは、楽しみとしてする事柄。
単純に考えると、『趣味がない』=『楽しみがない』となるが、私の周囲の「趣味がない」という人たちが、なんの楽しみもなく暮らしているのかというと、もちろんそんなことはない。と、思う。

生活の中に「楽しみ」はあるが、「これが私の趣味です」と言えるものがない、と解釈した方が適切なのだろう。

では『趣味と言える』とは、どういう意味だろうか。

広辞苑はじめ、辞書に記されてる意味は、『個人が楽しみとしていること』である。暮らしの中に「楽しい」と思う若しくは「楽しみ」としている事象があれば、それは『趣味』ではないのだろうか。

それが、違うのだろう。
例えば、『明日、有名なイタリアンのお店に行く』と言う予定があり、それが「楽しみだ」と思うとする。これは間違いなく、『個人が楽しみとしていること』であり、『楽しい』と感じるだろう。
しかしその人は、『イタリアンのお店に行くのが趣味か?』と問われると、そうではない可能性がある。(もちろんそれが趣味なら、趣味がある人、となる)

ここで見えてくるのは、『個人が楽しみとしていること』『楽しいと感じること』=その人の趣味 
と言う、辞書通りの公式が成り立たない現象である。

では、『趣味』と言える条件の共通認識とは一体なんだろうか、と考える。

思い当たるのは、その楽しみを『継続』できること、だ。

確かに、『イタリアンのお店に行く』のは楽しみとしてある。しかし、趣味とは呼ばない。理由は、その予定が終わったら、『楽しみ』はなくなってしまうからだ。

一方で、『イタリアンのお店に行くのが趣味だ』と言える場合。
こちらの場合は、例え1件のお店に行ってしまって、予定が終わったとしても、『イタリアンのお店に行く』ことは、またできる。予定ではなくて、行為が好きなのだから、また行けば良いのだ。つまり、楽しみが『継続』可能なのである。

ややこしくなってきたので、まとめてみる。

趣味とは、
『個人が楽しみとしている事象であり、尚且つ、1つの予定などではなく、繰り返し行えるような、持続可能なもの』と、いうことになる。

『持続可能』と言うだけで、一気にハードルが上がったように思う。

その前に、「楽しみ」について考える。

これは、私が姉と話していた内容である。
女性に毎月訪れる試練、『生理』。私は、30歳を過ぎた頃から生理前の身体的、精神的な症状の出現が著明になり、そのような時は、とことん自分を甘やかす、と言う旨の話を姉にした。そして、姉も実践しようとしたが、そこで彼女が気づいたことは「自分の甘やかし方がわからない」と言うこと。

彼女曰く、「自分は、一体何をすれば心地よいのか、楽なのかが、わからない」と。

これは、『楽しみ』も置き換えられるのではないだろうか。
『楽しいことを見つける』=『趣味を見つける』の前に、自分は一体何をすると『楽しい』と感じ何を『楽しみ』とできるのだろうか。ここを知らなければ『楽しみ』つまり、『趣味』は見つからないと言うことになる。

これはなかなか難しい問題だ。皮肉なことに、日本の『我慢の美学』が、完全に邪魔をすることになる。
本気で趣味を見つけようとすると、まずは自分が何をすると楽しいと感じるのかを、考察する作業から入る必要がある。でも、多くの日本人は、『我慢こそが素晴らしい』という日本の美学を、生まれた時か刷り込まれてきているのではないか。そんな中で、我慢とは真逆の領域にある『楽しい』を、しかも、自分だけの『楽しい』を見出せというのだ。

いや、別に、趣味が多い人が、我慢できてないとか、そういうことが言いたいのではないということを、ここで明言しておきたい。

とはいえ、こと、私個人の話を例えに出すと、私は我慢が嫌いだ。
はっきり言う、『我慢なんて嫌いだ』。というか、できない。
苦痛を耐え抜ける忍耐を持った人を、常に尊敬の眼差しで見てきたし、自分もそうなりたいと思う時期もあった。でも、無理だった。

やはり、我慢や忍耐のレベルと、趣味の多さは、何かしらの関係があるのか、ないのか、、、。

話がどんどん脱線しているので、軌道修正しよう。

つまり、『趣味がない』と思う人で、尚且つ我慢することに慣れてしまって、自分が『心地いい』『楽しい』と思う領域や感覚がわからなくなっている人。
そんな人が闇雲に趣味探しをしても、うまく見つからない可能性が高い。

まずは、自分と向き合って、自分を『我慢』から解放して、『楽しい』の感覚を取り戻す作業から始めてみるといいのかもしれない。

その感覚を取り戻したら、次に、持続可能な『楽しい』探しをする。

こうしていくことで、自ずと趣味が湧き出てくるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?