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実家に帰って思うことの話③

さてさて、このシリーズは3個で終わろうと思う。気がつけば大学1年生が終わっていた。恐ろしく早い1年だったと思う。

帰省中、数人の友人に会ってたくさんおしゃべりをしたのだが、特に会いたかった友人の話。

彼女とはなんだかんだ幼稚園からずっと付き合いがあった。1度も同じクラスにはならなかったが、そのちょうど良い距離感のおかげでこんなにも仲良くなれたのだと思う。
彼女と私の共通点は結構あって、両者とも家庭環境がちょっと複雑だったし、何かしらの原因があって高校で病んでしまった経験を持つ。彼女は高2の春に通信制高校に転校してしまったのだが、何かあると彼女に相談をしたし、今の自分にちょうど良い答えを言ってくれた。私にとって彼女の存在はとても大きい 。
そんな彼女は関西の某有名テレビ番組のADとして働いている。その人生はすごいとしか言いようがないくらいだ。常に自分の斜め上を突っ走ってて、ひたすらに尊敬している。言いすぎるとよくないのでアバウトにまとめておこう。


急に私の話になるが、幼少期から色んな習い事をさせてもらってたし、小学生のときには自由研究や作文で学校表彰を受けることも多かった。中学校は公立だったがニュータウンにあることもあって学力レベルはおそらく市内で1番の学校だった。そこでもかなり上位を保っていた。高校も市内イチの進学校に通った。そうやって今まで人生「何とかなって」生きてきた。それ故に完璧主義っぽい性格になってしまった。追い込まれても何とかしてきた。なんとかなって誤魔化してきた。それが習慣になってしまった。

その習慣は今わたしを苦しめていると思う。まだ何とかなるという発想は後から振り返れば全然完成していなくて、そしてひたすらに後悔する。逆に、何かに追われていないと体調を崩しがちだ。今も絶賛体調最悪期。謎の胃痛、謎の吐き気、謎の胸痛。急にくる偏頭痛。なんだこれ。

この1年はたくさんの人に心配をかけた。遠く離れた場所で家族や親戚が私のことを気にかけている。他学科の友人は頑張りすぎないように、自分を追い込みすぎないように、といつも心配してくれる。まだ数人ではあるが、同学科の友人は素の自分を肯定してくれて本当にありがたいと思う。自分にとっての当たり前が、実は過度に負荷を与えている状態であったことに気づき、もっと気楽に生きていいんだと思えた。だが今までの必死にもがいて何とか生きてきたという習慣は自分の肉体の深いところに根付いてしまっている。意識しても簡単に消えるものではないんだと思う。

そうそう、話が逸れた。冬休みにその彼女と話してやっぱりそうか、と思ったのは、私たちは全くの無意識のうちに周りの人間を見下しているということ。同時に自分ならまだやれると自分の弱い部分から目をそらして生きているということ。人格は育った環境から大いに影響を受ける。優等生で生きてきたゆえの欠点だと思う。それでも目を背けられない現実はそこにあって、それを乗り越えていかなければならない。もちろん逃げても良いこともあるだろうが、向き合わないといけないことの方が多いと思う。悔しいと思っても自分には到底かなわない人間がいるわけで、でも彼らから逃げるのではなくて、そこから学べることは自分の力に変えなければならない。

最後の設計課題の講評会で、まるで比例のグラフのようだなあと呆然としていた。衝撃を受けた。全員がそれぞれの速度で上達している。つまり、上位の人に追いつくわけがないということ。私の速度が2だとすれば、彼らは5くらいで進んでいる。差が広まるばかりの比例のグラフ。これは大変だ。

焦る必要はないと思う。遠回りしながらゆっくり見つけてゆけば良いのだと思う。だが今の自分の速度では絶対にダメなんだと思った。私は自分のことを必死に磨けば光る石だと思っている。やり始めはどうにもこうにも上手くできなくて、要点が掴めなくて、ひたすら迷走する。あるところで急に光りだす。何かが見えてくる。ちょっとわかってくる。急に出来るようになる。気づいたら周りよりも多くのことをつかめている。こんな感じ。今までずっとこれの繰り返しだから、大学生の私もこうなれたらいいな。まあ自分次第なんだけど。

そろそろ地元の友人が恋しい。いつも決まった人としか遊びに行かないけど、春休みはもっと色んな人と。幼馴染や中学の友達とか。色んな人に会えたらいいなあと思う。高校3年のメンツはいつになったら9人揃うのだろう。オバサンになってからだったりするのかな。