見出し画像

うたぐりぶかい

2022年明けましておめでとうございます。

タイトルの通り一発目から暗いです。
多分時間があるとこういう思考に陥るのですね。
とりあえず書き始めました。


いつのまにか、人の顔色を伺うだけは飽きたらず、人の顔をべろんと裏返して皮膚の色まで伺うような、疑り深い性質の人間になってしまいました。


人の話を聞くのが好きです。特に、どうやって今のあなたが作られたのかという、「あなた」の歴史を知るのが好きです。それに嘘が混ざっていたとしても、そもそも今その時点のことを変えることはできないのだから時効だし、今では美しい歴史の一部になっているのだし、私はその嘘の真偽を確かめようがないから、それを慈しむことができる。

でも、「今」言われたこと、「今」あなたが発信したことには、嘘があったら気づけるかもしれない、どこかにヒントがあるかもしれない、この人は嘘をついているかもしれない、もしかしたらすごく怖いことを思われているかもしれない。そんな風に思ってしまう節があります。


被害妄想、自意識過剰。そう言われてしまえばそれまでなのですが、なにか、「今」言ったことにはその奥に不確かな要素がある気がして、全て知らないと気が済まなくなります。たとえわたしが知る必要のないことだったとしても、私が知ると傷ついてしまうことだったとしても、それでもあなたが「今」言ったことは、嘘を含め全部知りたいと思ってしまう。


私はエゴの塊なのでしょうか。全てを知る必要なんてないのに、知りたいと駄々をこねる、策を練る、血眼になってヒントを探す。
たった数秒の会話なのに、そうしてしまいたい気持ちに駆られる時があります。


あなたの全てを知りたい。
たとえあなたに嫌われても。


人間が好きなくせして、嫌われるようなことをしてしまいたくなるのは、なぜなのでしょう。
あなたが使った言葉を1μも違わず理解したくなるのは、1㍉もとりこぼしたくないと思ってしまうのは、なぜなのでしょう。


人のことが好きすぎて、嫌われる勇気がなさすぎて、人への執着だけが増え、顔色を伺うことに関してはなにをしても平気になってしまったということなのでしょうか。


いつもならそろそろ終着地点が見つかってくるのですが、今回は難しいです。
人が好きなのに、人の言葉を真っ向から信じられない。


本当に私は、うたぐりぶかい人だなあとしか、言えないかもしれません。


noteを見つけて読んでくださる皆様、石田のとりとめのない文章を、好きだよと言ってくださる方、本当にありがとうございます。本当に私はあなたに救われています。
文章を読んでくださる全ての方に愛を込めて、今年もゆったりと、でもいきなり、更新していこうと思います。

深夜のラブレターをそのまま出しても怒られない場所があるって幸せだなと、つくづく思います。

皆様、素敵なお正月をお過ごしください。

持てる限りの愛を添えて
石田彩夏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?