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《世界史》ヘンリー8世と6人の妃たち

こんにちは。
Ayaです。
今回から3回にわけて、チューダー朝の王位継承について描きたいと思います。
まずは全ての元凶のヘンリー8世についてまとめます。

テューダー朝(1485~1603)

テューダー朝はヘンリー7世が薔薇戦争に勝ち抜いて成立させた王朝です。
薔薇戦争とはランカスター家(赤薔薇の紋章)とヨーク家(白薔薇の紋章)の王位継承をめぐる戦いでしたが、ヘンリー7世はランカスター家の傍流の出身でした。そんなヘンリー7世がヨーク家のリチャード3世に勝利し王位についたわけですが、当時からその正当性に疑問符が付くこととなります。
ヘンリー7世はその対策としてヨーク家のエリザベス(リチャード3世の姪)と結婚。男子はアーサーとヘンリー、女子はマーガレットとメアリーをもうけます。
ヘンリー7世は王朝の正当性強化と多額の持参金目当てに、息子アーサーとスペインの王女カタリナとの結婚を整えます。1501年カタリナはアーサーと結婚(以後、イギリス風にキャサリンと表記します)しますが、翌年なんとアーサーが急死してしまいます。
結婚生活数か月で未亡人となってしまったキャサリンですが、当時の慣例では未亡人の王女は実家に戻るものでした。しかし、多額の持参金の返却を惜しんだヘンリー7世は、次男ヘンリーとの再婚を持ち掛けます。当時死んだ兄弟の嫁との再婚は認められていませんでしたが、アーサーは体が弱くキャサリンと肉体関係を持つことができなかったことから、結婚は不成立だったと解釈することにしたのです。(後から問題になります)
1503年になると、ヘンリー7世妃エリザベスが死去したため、ヘンリー7世は自分との再婚をもちかけるゲスイ行動にでますが、さすがにスペイン側が拒否、ヘンリーとキャサリンの婚約が成立します。
この不安定な立場の中で、キャサリンは見舞ってくれるヘンリーに好意を抱き、ヘンリーも兄嫁への憧れから愛情に変わったのでした。
婚約は成立したものの、当時の王族の結婚はローマ教皇の許可が必要になります。当時としては禁忌の結婚だったのでなかなか許可がおりませんでしたが、おりたらおりたでヘンリー7世が禁忌への恐れから結婚を実行しませんでした。(自分がしといて)
この状況で1509年ヘンリー7世が崩御しました。ヘンリーは王位を継承しヘンリー8世となり、キャサリンとの結婚を強行しました。

ヘンリー7世
ランカスター家とヨーク家の象徴である赤薔薇と白薔薇を掛け合わせた、テューダー家の薔薇を持っている。

キャサリン・オブ・アラゴン

ヘンリー8世とキャサリンの夫婦仲は良好でした。ヘンリー8世は年上のキャサリンに母性を求め、キャサリンはアーサーの死後8年間も不遇であり、再び幸せな生活を送っていたのです。
しかし、キャサリンは何度も妊娠しましたが、無事成長したのは王女メアリー(後のメアリー1世)のみでした。ヘンリー8世はこの結婚の禁忌を思い出すとともに、キャサリン自身への愛情も薄れてゆき、愛人をつくりはじめます。そんなときに出会ったのが、アン・ブーリンでした。

ヘンリー8世
傍若無人な国王というイメージが強いが、当時は一・ニを争うインテリ国王だった。男子の後継者がいないと王朝を存続させられないという強迫観念に縛られていた。
キャサリン・オブ・アラゴン
彼女にとってアン・ブーリンが登場するまでの日々が幸せの絶頂であった。

アン・ブーリン

アン・ブーリンは新興貴族の出身で上昇意識の高い女性で、高位貴族との結婚を望んでいました。姉妹のメアリーがヘンリー8世の愛人となっていましたが捨てられていました。
ヘンリーとしては姉妹メアリーのように愛人にするつもりでアプローチします。しかし、アンは姉妹メアリーのようにただ捨てられる愛人ではなく、王妃にしてもらわないと関係をもたないと突っぱねます。ますますアンに心を奪われたヘンリー8世はキャサリンとの離婚を決意します。
勿論、キャサリンは離婚を拒否します。結婚を無理やり認めさせられたローマ教皇庁やキャサリンの実家スペインも認められませんし、国民からのキャサリンの人気も高く、難航しました。
ヘンリー8世はこれに激怒し、ローマ教皇庁から離脱、イギリス国教会を樹立しました。
ヘンリー8世はキャサリンとの婚姻無効を宣言し、彼女はアーサーの未亡人とされて、宮廷から追放されます。(不遇のまま1536年死去)
アン・ブーリンは子供を宿した状態で、1533年王妃として戴冠を受けます。
しかし、幸せは続きません。同年アンが出産したのは、女子エリザベス(後のエリザベス1世)だったのです。

アン・ブーリン
当時の最先端フランス宮廷育ちだったため、洗練されていたという。王妃だった期間はわずか1000日だった。『ブーリン家の姉妹』ではナタリー・ポートマンが好演していた。

ジェーン・シーモア

アンに失望したヘンリー8世はまた浮気をします。その相手の一人が、ジェーン・シーモアでした。
アンとの夫婦生活は険悪となりますが、アンが再び妊娠。夫婦関係が修復しそうになりますが、流産してしまいます。これでヘンリー8世はアンを完全に見限りました。
アンの実弟をはじめ数多くの男性との姦通の濡れ衣を着せ、1536年アンを処刑してしまいます。
アンの処刑後、ジェーンと結婚。1537年念願の男子エドワード(エドワード6世)を出産しますが、ジェーンは体力を回復できないまま死去しました。

ジェーン・シーモア
アンと対照的に物静かな女性だったとされる。唯一の男児を出産したため、ヘンリー8世からは亡き後も愛されており、隣に葬られている。

アン・オブ・クレーヴス

待望の男子を得たヘンリー8世でしたが、エドワードが虚弱体質だったため、更なる男子を望み、再婚を希望します。今回は見合い結婚に決め、肖像画でクレーフェ公国公女アンナ(英語読みでアン)に決定します。
1540年アンは渡英しますが、ヘンリー8世はその容姿が肖像画と違いすぎると怒り、半年もたたずに離婚してしまいます。

アン・オブ・クレーブス
離婚後、『王の妹』という称号を与えられ、イギリスで過ごす。1557年死去。ヘンリー8世はこの結婚を勧めたクロムウェルを処刑してしまう。

キャサリン・ハワード

アンと離婚したヘンリー8世はアン・ブーリンのいとこキャサリン・ハワードと結婚します。ヘンリー8世は年の離れたキャサリンを可愛がりましたが、キャサリンは結婚後も以前の愛人と不倫していました。
不倫関係が明らかになり、キャサリンは逮捕され、処刑されてしまいます。

キャサリン・ハワード
アンのいとこにあたる。アンとは違い、不倫は濡れ衣ではなく事実だったとされている。処刑前、「トマス・カルペパー(不倫相手)の妻として死にたかった」と言ったとされる。

キャサリン・パー

キャサリンはすでに2回の結婚歴があり(どちらも夫と死別)、ジェーンの兄トマス・シーモアと交際していました。しかし、ヘンリー8世はキャサリンを見初め、トマスを左遷、1543年キャサリンと結婚します。
キャサリンは庶子とされていたメアリーとエリザベスの処遇の改善を求め、二人の継承権を認めさせます。(この経緯が次回以降問題になります)
1547年キャサリンに看取られながら、ヘンリー8世は崩御しました。
ヘンリー8世崩御後、キャサリンは元交際相手のトマス・シーモアと4度目の結婚をしました。その時エリザベスを連れていましたが、トマスはなんとエリザベスを誘惑し、エリザベスは追い出されることとなりました。この苦しみの中、1548年キャサリンは女児を出産しますが、そのまま死去します。

キャサリン・パー
とても教養のある女性で、ヘンリー8世からも信頼されていた。エリザベスにとって初めて気にかけてくれた保護者であり、『大好きなお母さま』と慕っていた。

とても長くなってしまいました…。6人もいるとまとめるの大変(-.-)
ヘンリー8世の妃はみんな幸せではないような…、アン・オブ・クレーブスが一番マシかなと思ってます。
ヘンリー8世はイギリス国教会(完全に私情ですが)の設立など絶対王政の基礎を築いたわけですが、この結婚歴が死後波乱をまねくのです…。

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