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《世界史》五賢帝の時代

こんにちは。
Ayaです。
久しぶりに《世界史》マガジンを更新しようと思います。
ネロの死後のゴタゴタを経て、五人の優れた皇帝が即位しました。彼らを『五賢帝』と呼びます。この時代にローマ帝国の領土は最大となり、繁栄の絶頂を迎えました。

ネルファ(35〜98)

ネルファはネロやウェスパシアクスの時代に立身出世を果たし、ティトスとドミティアヌス兄弟の養育係もつとめていました。ドミティアヌスの暗殺後、元老院によって推挙され、皇帝に即位します。すでに60歳代という高齢でこどももいなかったため、後継者問題が即位当初から勃発しました。結局、ネルファの意中の人物ではなく、軍のクーデターによってトラヤヌスを後継者にしなければなりませんでした。実権を奪われ、その後は幽閉状態で過ごし、即位からわずか15ヶ月後、崩御。享年62。
不遇の死を迎えたわけですが、トラヤヌスが自らの正当性を強調するために、五賢帝の一人目とカウントされているようです。

ネルファ
みずからの教え子ドミティアヌスの暗殺に関わっていたと考えられている。

トラヤヌス(53〜117)

トラヤヌスは53年ヒスパニアの植民都市イタリカで生まれました。ローマ本土ではない属州出身の初の皇帝になります。先述のようにネルファ時代もほとんど実権を握っていたため、五賢帝時代の実質的な創始者です。
トラヤヌスの実績はなんといっても、戦役です。とくにトラキア遠征とパルティア遠征が有名で、彼の時代にローマ帝国は最大の領土を獲得しました。
しかし、117年遠征先のキリキアで崩御。享年63。

トラヤヌス帝時代のローマ帝国
トラヤヌス
彼の時代にローマ帝国は最大の領土を獲得した。

ハドリアヌス(76~138)

トラヤヌスの後を継いだのは、親戚のハドリアヌス(従兄弟の子)でした。遠征先での崩御で当然混乱が起きたのですが、ネルファ帝へのクーデターで中心的役割を果たしていたため、なんとか混乱を鎮圧できたようです。
先帝の領土拡大路線から180度切り替え、領土の再整備に尽くしました。補給の面からこれ以上の領土拡大は困難だったためですが、この切り替えが功を制しました。
幼少期にギリシアで育ったためか、ギリシア的文化を愛好していましたが、これはネロを思い起こさせし、また同性愛者でアンティノウスという美少年を寵愛し、彼が死ぬとその名前を冠した都市を作るなど、元老院の評判はよくありませんでした。
晩年には後継者問題も抱えていました。妻の一族だったマルクス・アウレリウス・アントニウスが本命の後継者でしたが、彼が若すぎるため、パトリキ出身のケイオニウスを中継ぎとするつもりでした。しかし、そのケイオニウスが本人より先に病死してしまったため、結局側近のアントニヌス・ピウスを後継者として崩御します。享年62歳。

ハドリアヌス
髭を生やしたのもギリシア趣味のためだが、彼以後のローマ皇帝はみな生やすようになった。
ケイオニウス
ハドリアヌス最初の後継者。彼の息子がマルクス・アウレリウス・アントニウスの共同統治者となる。

アントニヌス・ピウス(86〜161)

ハドリアヌスの死によって即位したアントニヌス・ピウス。ハドリアヌスの要望どおり、娘と結婚させることでマルクス・アウレリウス・アントニウスを後継者にします。
ハドリアヌスと対立ばかりだった元老院とも穏健に接したため、彼の神格化を成功させました。そのため、『ピウス(慈悲深き者)』という尊称を捧げられました。
中継ぎとして即位したアントニヌス・ピウスですが、その在位は23年にも及びました。ハドリアヌスと同様に領土拡大は行わず、法律や行政組織の改革に尽力しました。161年崩御、享年74歳。

アントニヌス・ピウス
在位中ローマは建国900年をむかえ、盛大な祭典が行われた。

マルクス・アウレリウス・アントニウス(121〜180)

アントニウス・ピウスの崩御後、人々はマルクス・アウレリウス・アントニウスが即位するものと思っていました。しかし、本人はもともと皇帝位に対する野心がなく、即位を辞退しようとします。元老院の説得したことで、ケイオニウスの息子ルキウス・ウェルスも共同統治者とするという条件で、即位します。ルキウス・ウェルスは共同統治者とされましたが実権はなく、168年に亡くなってしまいました。
『自省録』で哲人皇帝として有名なマルクス・アウレリウス・アントニウスですが、先代・先先代の方針を変え、遠征に明け暮れ、遠征先で崩御します。享年58歳。

マルクス・アウレリウス・アントニウス
『後漢書』には大秦国安敦と表記されている。

彼までを『五賢帝』と呼びます。
マルクス・アウレリウス・アントニウスの崩御後、その息子コンモドゥスが即位します。

コンモドゥス(161〜192)

マルクス・アウレリウス・アントニウスは多くの子どもに恵まれましたが、男子のほとんどが夭折し、成人したのはコンモドゥスのみでした。そのため彼を溺愛して育てました。英才教育を受けて育ち、肉体的にも恵まれ、遠征先で沼に落ちた父を助けたエピソードも残っています。共同統治を経て、父の死後18歳で即位します。
即位から数年後、事件が起きます。実の姉・ルッキラが関与した暗殺未遂事件が起きたのです。ルッキラは父の共同統治者ルキウス・ウェルスと結婚していたため、コンモドゥスも一定の敬意を払っていました。しかし、コンモドゥスが皇后の一族を重用するようになると嫉妬して、弟の暗殺を企てます。暗殺計画は簡単にばれて、暗殺犯は処刑されましたが、実の姉は殺せず流刑に処されました。この事件のせいでコンモドゥスは猜疑心を刺激され、大勢の貴族や軍人を粛清しました。
また、もともと好きだった剣術にさらに傾倒し、ヘラクレスの扮装をして剣闘士として出場するほどでした。民衆の人気は高かったのですが、元老院は苦々しく思っており、180年暗殺されました。享年31歳。ダムナティオ・メモリアエ(記録の抹消)が適用され、胸像が破壊されました。
彼の死後、再びローマ帝国は混乱の時代を迎えます。

コンモドゥス

以上、『五賢帝の時代』でした。
ハドリアヌスからマルクス・アウレリウス・アントニウスまでの3名は、ヤマザキ・マリさんの『テルマエ=ロマエ』に登場してましたね。ケイオニウス役の北村一輝さんが好きすぎて、映画見に行きました、懐かしいなぁ。
映画『グラディエーター』で愚帝に描かれていたコンモドゥスですが、お姉ちゃんに殺されかけたらそりゃ人間不信になりますよね‥。カリギラやネロといい、なんか可哀想なひとですね。
ひしぶりに2,000字ごえです。これからもこれぐらいの文量で書いていきたいです。


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