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《世界史》アウグストゥス

こんにちは。
Ayaです。
今回はローマ初代皇帝・アウグストゥスについてまとめます。なお、アウグストゥスは『尊厳ある者』という意味の尊称であり彼自身は名乗っていませんが、混乱をさけるためアウグストゥスで統一します。

アウグストゥス(B.C.27〜A.D.14)

アウグストゥスはB.C27年騎士ガイウス・オクタウィウスの息子として生まれます。母はカエサルの姪で、カエサルは彼にとって大叔父にあたります。姉にはオクタウィアがいました。
こどものいなかったカエサルから後継者として期待されていましたが、彼には欠点がありました。虚弱体質で、カエサルのような華々しい軍功をあげられなかったのです。カエサルはそれを補うべく、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパという軍人を腹心として彼に与えました。ふたりは信頼関係を築き、のちにアウグストゥスの一人娘ユリアは彼と結婚することとなります。
カエサルの暗殺後、アウグストゥスはその後継者として一躍おどりでます。当初はカエサルの腹心マルクス・アントニウスと共闘し、カエサル暗殺犯らを倒しましたが、次第に対立していくこととなります。この対立を緩和するため、姉のオクタウィアとアントニウスが結婚していましたが、アントニウスがクレオパトラ7世に誘惑され、オクタウィウアとの婚姻を一方的に放棄してしまいます。

これを根拠に、アウグストゥスはアントニウスを弾劾、元老院らの支持を受けて、アントニウスを庇護していたプトレマイオス朝との開戦に踏み切ります。
アクティウムの戦いで大敗したアントニウスとクレオパトラは自害。こうしてライバルとプトレマイオス朝を滅ぼしたアウグストゥスは元老院から『プリンケプス』の称号を与えられます。この『プリンケプス』の称号は元老院の第一人者を示すものです。
しかし、B.C27年アウグストゥスは、突如与えられていた特権を返上し、共和制への復帰を宣言します。元老院の議員たちはこの謙虚な態度に感銘を受け、特権の返上を許可せず、さらに軍司令官『インペラトル』の称号も与えます。実はアウグストゥスが返上しようとしていた特権のほとんどが有名無実化しているもので、一連のやり取りは元老院の不満を和らげるための演技だったのでした。
こうしてアウグストゥスは初代ローマ皇帝となったのです。

『プリマポルタのアウグストゥス』(バチカン美術館蔵)

即位後は民法の制定や行政地区の再分割などに尽力しました。
A.D14年、崩御。享年75歳。
カエサルに実子がいなかったため、後継者となったアウグストゥスでしたが、自身も後継者問題に悩まされていました。一人娘ユリアを側近にして盟友のアグリッパと結婚させ、彼を中継ぎに孫へ継承させる予定でした。しかし、アグリッパや孫たちがアウグストゥスより先に死去してしまったのです。結局妻の息子(前夫との子) ティベリウスを養子とし、さらに甥のゲルマニクスをティベリウスの養子とさせました。この血統はネロの死まで続くこととなります。

なお、彼の権力について、

権威において万人に優越していても、権力においては同僚たちを凌駕しない

神君アウグストゥスの業績録

と記されています。皇帝といっても、あくまで元老院の第一人者であり、我々がイメージする独裁的なものとは違うようです。なので、彼の創始した帝政は『プリンキパトゥス(元首政)』、後年ディオクレティアヌスが創始した帝政は『ドミナートゥス(専制君主政)』と区別します。
次回はネロについて取り上げる予定です。



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