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言葉にして整理したい(不登校児の親の心)

こどもの不登校について、誰かと話すことへの腰が重い。とっても重い。
でも胸にひっかかりがあって、やっぱり誰かにor誰かと話したいのかなわたし?と自分に質問しちゃうほどにモヤモヤしてる。
不登校の親の会 近くにあるのかどうかすら調べてないけど、参加すべきかどうか…とモヤモヤ気になるのです。

そもそも何を相談したいんだろう。
相談して何が解決するんだろう。
相談したいことを整理することすら億劫で。
言葉にして整理したくないとすら思ってるのかも。

私がこどもの不登校について相談したり雑談したりしている人たち

  • 会社の同僚(こども同い年、現在不登校同士。同僚とも同い年。月1程度にグチ吐き出し情報交換ランチしてる)

  • 小学校に週1回来ているスクールソーシャルワーカーさん(1回話を聞いてもらったら、学校側の立場じゃない話が参考になった。でもまだ1回しか話していない。卒業までにせめてもう一度行っておきたいな。)

  • (子がいない場で話す時間が取れなくて、LINEでのやり取りが多い(笑)。 お互い言いたいことを送り合うばかりで議論になりにくいけど、そのくらいがちょうどいいのかも。

  • 通っている適応指導教室の先生がた(数ヵ月に一度、面談がある。娘のことを前向きにみてくれている感じで安心感がある。面談以外で話すタイミングがないのが残念。)

話せる内容とその深さと頻度、心理的な距離が近い順に並べてみた。
思ってたより全然少なかった…!
そして夫の位置についてなかなか悩んだ(笑)

相談まで行かなくても、前提から説明せずに話せる相手ってなかなかいない。つくれない。

悩んで悩んで苦しかった時期は、相談する相手がいなかったし、相談しようとも思っていなかった。自分に原因の多くがあると思っていたし、とにかく自分がどうにかしなくちゃ、どうしたらいいんだともがいていたように思う。

ちょっと長くなるけど、相談できなかった時期の苦しかった頃を客観的にとらえるために、書き出してみようと思う。

苦しかった時期のこと(2022~23年秋頃)

コロナ第1波が過ぎて登校が再開したあとも、娘が学校に行くことはどんどん減っていって、毎朝の「今日は?」の確認と学校への欠席連絡に疲弊していた。

眠りが浅くなり、体が重くて、ふとしたタイミングで涙が出る。これはメンクリ行った方がいいなとも感じていた。でも自分のために病院に行くことを他のことより優先できず、時間も調整できないまま。
何かしたと言えば、占い師さんに娘のこれからをみてもらったことくらい。今思えばとんちんかんだけど、誰かに相談して自分の子育てを否定されるのが怖かった。自己否定が止まらなくなりそうだった。つまり、あの頃はとにかく意識が自分に向いていたんだと思う。「子どもが不登校になってしまった親の私」が受け入られない状態。

その頃は週5か4日の在宅勤務(フルタイムの会社員をしています)だったので、家で不安定な娘をひとりにする時間がないのは安心だったけれど、毎日娘のお昼ごはんを用意する必要があった(自分だけの分なら納豆ごはんでよくても、娘の好みに合う昼ごはんを別で考えなくちゃいけなかった)。会議中に発言中であっても話しかけてくる娘の対応を邪険にはできないし、会議中じゃなくても常に切羽詰まってる私には、1時間に1回の頻度で話しかけられることはなかなかのストレスだった。

それに加えて、
自分が今ここで娘になんて声をかけるかで、
子どもの将来を変えてしまうのではないか。取り返しのつかないことをしてしまうのではないか。という不安に押し潰されかけていて、娘には腫れ物にさわるように接していたように思う。

どうしたらいいんだろうと葛藤していた時間と、学校はいかなくていい、と決めてから「次の動きだし」までの期間は、先が見えず、不安ばかりでどんどん気持ちが落ちていき、苦しかった。書き出して思い出そうにも、時系列が分からないくらいに。

わたしの心の在りかたの意識変化と、子どものサイン(2023秋)

不登校について自分なりに調べ、不登校の見通しというか、子どもがたどっていくプロセスを知った。今娘がいったりきたりしてるのはどこらへんなのか、そのプロセスごとに親の役割はどこにどうあるのか、まずそれを理解した。

「親がどうにかすることではない。こども自身が動き出すのを待つしかない」

私のすべきことは、腹をくくることだった。

娘の人生であることを尊重すること。
見守ることと、放置することの違いを常に考えること。
それがとっても難しい。でもとっても大事。

ちょうどその頃、LITALICOの無料セミナーで、「不登校新聞」の石井しこうさんの講演を聞けたことは転機だった。講演にあった、子どもの前向きな気持ちのサインに、まさにちょうど娘に当てはまる部分があったのだ。

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6年生の後半もこのまま何も動かずに終わってしまうことは避けたい、と、娘の様子を見ながら背中を少し押し始めていた時期だった。でも本当に押し進めていっていいのかどうか、自信はなかった。そんな中で、ここら辺にいるのかな?とふんわりとらえていた娘の状況が、もう少しクリアにとらえられたと感じられた。

学校に「登校しばらくお休みします。行く日だけご連絡します。」と電話した日から9か月位経っていたと思う。長い時間だった。

子どもの背中をどう押すか

不登校の娘と接していて難しいことには、「言葉どおりに受け取ってOKかどうかの判断」がある。同時に「言葉に出てこない気持ちの現れ」の見極めもある。
子どものことをどんなにしっかりみていても、エスパーじゃないので、感じていること、考えていることを分かりきることは不可能だ。

その頃は、適応指導教室に行ってみたいかどうかをさぐっていた。少しずつ少しずつ話してみて、娘がどんな反応を見せるかをじっくり見る。きく。
しっかり目を見て話す。時にはさりげなく一言添える。もう一言付け足したくなるのをグッと飲み込む。。

娘がポロリと言った。
「学校へ行ってない子と知り合いたい。学校へ行ってない子たちとなら、同じ空間にいても嫌じゃない気がする。」

そっか。知らない子でも、同じ境遇を理解し合えていると思えるなら、居心地がいいんだね。

人見知りな面があると思っていたから、そんな風に考えていたなんて、目から鱗。

そうとくれば。
気が変わらないうちに!と、教育センターに電話を入れ、面談をし、見学へ行き、体験通室を経て、通い出すことに。

バスと電車を乗り継いでの通室は、慣れるまで時間がかかるだろうと思った。送り迎えをいつまで続けるかな…と思っていたら、こちらから切り出す前に、娘の方から、「来週からは一人で行けると思う」との申し出が。

自分の居場所になりそうだ、と感じたのだろう。こんなにも子どもに前向きな行動が出てくるなんて!と驚いた。

通室は今も週に1回か2回の頻度で続いている。来春からも学校とここに通いたいと話す娘。どうなっていくかな。

何度も振り出しに戻る親の悩み(現在進行)

やっと最初のモヤモヤに戻る。(長いな)
私は他の人に相談したいのかしたくないのか。

なにか進展があろうとなかろうと、「学校へ行ってない」という状態は変わっていない。
気持ちの有りようとして、「学校に行くことがゴールではない」という着地をしたことも納得している。

それなのに。

やっぱり心の奥底に、「学校に毎日行って欲しい」という気持ちがあると自覚させられる。

つい先日も、相談相手の同僚とランチへ行った際に、この、「分かってるつもりなのにまた同じこと言ってる!」のサイクルに突入していることに気づいた。

そうか。そういうことか。

相談は解決策を見つけるためではなく、自分の思考のズレに気づいて修正するために必要なんだ。今の私にとってはそこに意味があるんだ。

書いてて何について整理してるのか迷子になったしずいぶん長くなってしまったけど、書いたことで気づきを得ることができて嬉しい。


◻️今回のモヤモヤの着地

人と話す頻度を上げることを意識しよう。
意識と言ってることがずれてないか、気づける。
気づいたら直せばいい。
だいじょうぶ。

親の会、食わず嫌いにせずに調べてみよう。


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