見出し画像

言葉にして整理したい(不登校小6娘の春を想って)

頭の中のモヤモヤをモヤモヤのまま放置していても、どこにも着地せずに流れ去っていってしまうので、書き留めておきたい。

あわよくば、書くことでモヤモヤを整理して、「それって要するにこういうことね」と客観的に見られるようにして、相談事を友達に持ちかけられたときに親身に答えるように、自分事にも自分とその状況にあったアドバイスができるようになったらいいな。

今日のモヤモヤ
「不登校娘の春からの生活」について。

  • 公立中学で、授業を受ける

  • 公立中学に、別室登校で通う

  • 区の適応指導教室に通う

  • 民間のフリースクールに通う

今のところの候補はこの4つ。
でも、1つ目については、こども自身に中学から教室に行ってみようと思っていそうな素振りがないので、候補に入れているのは親のわたしだけかもしれない。
小学校で、かろうじて行事だけ参加してこれたものの、授業にはもうずっと長いこと出ていないから、ハードルはかなり高いことだろうと思う。

2つ目の候補。別室登校。
ありがたいことに、小学校に引き続き中学でも別室登校できることがわかった。専属の先生が常駐して、勉強を見てくれるそうだ。入学予定の中学で、その教室と先生の存在を知ったときには涙が出そうになるほど嬉しかった。
でも、そこへ通うことを目指すのがいいのかどうか、気持ちの入れ方にアクセルが入らない。

別室登校で、「教室には行けていない」ということを自覚しながら学校に登校するのって楽しいんだろうか?少なくとも小学校の別室は、自分の居場所にはなっていたけれど、積極的に行きたいという場所にまではならなかった。学校に行かなきゃ行けない日の逃げ場という感じ。

登校できていると自信が持てることが、ゆくゆくは教室に戻れることに繋がるのかしら?ついていけていない勉強に、食らいついていくモチベーションが娘にあるのだろうか。これから出てくるのだろうか?

3つ目の候補、適応指導教室。
小6の秋から週2で通い出している。その日の気分で、行ってもいいし行かなくてもいい、という強制力のなさが安心できる場所。受験に向けて頑張っている中学生を見て刺激を受けたり、電車に乗って一人で通うことで自信がついたりと、今のところいい傾向。浮き沈みがあるのは承知の上で、もう少し通室日を増やしてもいいんじゃない?と言いたくなるのを飲み込み見守る日々。不登校生の進学情報が得られる点では親の方が頼りにしている場所でもある。

4つ目の民間フリースクール的学校
学校教育とは全く別軸の教育。子どもに自分で考えることを促し、これからの世の中を生き抜く力を自分で掴ませる。親だけでは接点を持てない広がりがある。学校で習うことって、将来どんな風に役に立つの?ここで学ぶことの方が大切なことなのでは?という問いに、親が考えさせられる。コンセプトと内容が非常に魅力的であり、学費が非常にネックなことも悩みどころ。

正直なところ、中学校に通えるようになって欲しい、とは娘に対して思っていない。学校も変化してきているけれども、今の娘にとって楽しくて安心して過ごせる場所、自分に自信が持てるようになる場所にはならないと思うから。

学びの場は学校しかないわけじゃない。学校からあぶれてしまうと、他に道がないかというとそうじゃない。高校にも、大学にも繋がる道はある。
でも、今の娘は、学びたいという気持ちのスイッチがそもそも押されていない状態なので、まずはそこへの刺激が必要。そう思うから、ますます公立中学に通うことの意味がわたしには見いだせないのかもしれない。

民間フリースクールに通ったら娘がどんな変化を見せるのか期待をもつ気持ちと、「ここが合わなかったら次の選択肢はどうしたらいいんだろう」という気持ちとが混ざっているのもある。

いろんな場所と可能性が並列している入学までの1ヶ月のあいだが、膠着状態に感じてとてももどかしい。

わたしですらこんなにもどかしい気持ちなのだから、娘自身はどれほどだろうか。

余計な言葉を挟まないようにと思うけど、この1ヶ月をどう過ごすと、これからに繋がるのだろうかと考えてしまう。
きっと私がかける言葉はやっぱり余計な言葉になりそう(笑)
口は出さずに黙って(一緒に)考える時間にしていかなきゃね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?