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母校(中学校)がなくなるらしい/鹿児島帰省の話

今回も鹿児島帰省の話です。
どうやら母校が閉校してしまうそう。

帰省したら、まず海を見に行きます。そして祖母のお墓参りをして、港の辺りをぐるっと散歩するのがいつもの流れ。

海に向かう途中、河口にかかる橋の上からは母校が見えます。ここから母校を見ると心の中に懐かしさが漂います。真ん中の白い建物が中学校です。ちょうど光が当たってて、なんか少し神々しい。

私にとっての青春という言葉は、この白い建物と共に心の辞書に収まっている。一学年2クラスの小さな学校。中学時代の全部を捧げた吹奏楽部での日々。校舎というものに愛着が沸いたのは後にも先にも中学校だけでした。思うに、人数が少なくて、部活で土日も通ったから、ここが自分たちの場所、私たちの学校なんだって意識が強かったからではないかと。いま風に言うならホームみが強かったって感じですね。

小学校は5年生の時に転校したので卒業したところは2年間しか通ってなかったし、高校は7クラスと人数が多くて、自分はたくさんいるうちの一人でしかないという感覚があったし、部活もしなかったのであんまり愛着みたいなのは感じてないんなんだと思う。

そんな、いま風に言うならエモい存在である中学校が、どうやら閉校してしまうそうです。

ある日母と歩いていたら、母が「あれ西中のバッグだよね、懐かしいね」と言うので見てみると、確かに私が20年前に背負っていたのと同じ苔色のリュックがまだあどけない女の子の背で揺れていました。しかし、制服が違うのです。その子はブレザーにチェックのスカート。私は紺色のセーラー服でした。母曰く、制服も変わったし近々近隣の大きな中学校と合併するとのこと。でも、別の日にセーラー服の子も見かけたので、学年によって違うのか、お下がりとかなのか、、、詳細は不明です。でもそう遠くないうちに、学校も制服もなくなるとは、ちょっと寂しい気持ちがしました。

今、母校のHPで確認したところ全校生徒115名だそうです。ってことは一学年40人いないくらい。当時、、、今から20年前、、、もうそんなに経つなんてちょっと目眩がするけど気、、、当時でも2クラス60人くらいだったので、少子化の昨今ですから、それくらいになってるのも納得です。ついでに市のHPで確認したところ、今年の9月時点では、令和8年4月1日を目指して中学校の統合を協議中とのこと。

もうあと数日で令和5年も終わりなので、、、ほぼ再来年ですね。

ていうか、もう20年か、、、、。
数行を書いてる間に、時間差で20年の重みが肩にのしかかってきています。

懐かしい苔色のリュック。
当時好きだったエルモのシールを貼って目印にしてた私の苔色のリュック。

あの時背負っていた、勉強や、部活や、クラスの人間関係や、高校受験はもう今はないけれど、今は今はで違うものを背負っている。

今あの苔色のリュックを背負ったらいったいどんな気持ちがするのだろうか。

いつか、橋の上から見える白くて細長い校舎が見えなくなるのかもしれない。

いま風に言うなら、、、おもいつかない。ここでいま風に言えたらおさまりがよかったんだけども。笑


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