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先生、私を卒業させます(創作)7話

7話 近田くん、あなた変わりすぎよ。

これまでのお話はこちらから。


夕方5時。

虹子が奥で仕込みのスープを味見していると

カランコロンと扉が開き、陶子の声がした。

珍しく陶子が舞子ちゃんと敬君と、近田君を連れてきた。


一気に店内が明るくなった。虹子には人の背中に色が見える。それは別に特別な力ではない。


賑やかに言葉を交わす一同の色は、綺麗に混じり合って調和していて、見ている虹子を幸せな気持ちにさせた。

ちなみに、近田君の色は淡い。淡くて限りなく土色だ。


なんというか、近田君は、近田先生と呼ぶにはいろんなものが欠けていた。


だいたい私より後に生まれているし。


近田後生(ちかだごせい)と呼ぶのもいかがなものか?


無駄にロイヤリティがでるしね。



なので、近田君と呼んでいる、あの日から。

陶子が、お腹が空いているから、ママあれ作って!と言った。


陶子が私にお願いをすることも甘えることも珍しい。


わかった!待っててね。と声をかけて、とりあえず、先ほどまで来ていた小学生の子供たちのおやつに作りすぎて余っていた、たまごとハムのサンドイッチと、オレンジジュースをテーブルに出して、奥に入る。


近田君は、初対面で号泣した。取り乱して
頭を下げ続けた。


あれは、ちょうど一年前。


陶子が、生徒会役員に当選して初めての文化祭の準備に追われていた頃。


虹子は、鍋に湯を沸かし、材料を切るその間に
あの日のことを思い出していた。


満月の日。


秋は深まり、日暮れが早足になっていた。


学校を18時に出て、舞子ちゃんと別れた陶子は住宅街の小道を歩いていた。


前から、自転車が来る。


気づくと自転車は陶子に向かって速度を上げて


陶子がブロック塀の外壁に肩を押し付けるほどに避けたところ、すれ違いざまに腕を伸ばして胸を殴った。


男の人だった。黒い塊に見えた。


腕が伸びてきた。逃げられなかった。


声も出なかった。振り向けなかった。


しゃがみ込みたい衝撃を、しゃがんだら逃げられない。と思い直して早足で歩いた。


痛くて怖くて、走れない。


ただただ、少しでも早く明るい場所を目指した。


商店街に出ると人通りは賑やかで、安心したら涙が出てきた。


すれ違う人は何も知らないのだ。


何も知らない人が溢れる日常に、自分だけが


重い影を引きずっているような気がした。


のではないか。と虹子は想像している。


陶子が帰宅後に断片的に話した言葉を繋ぎ合わせて、娘に降りかかった不条理な暴力を理解した。


陶子は、その見知らぬ男に殴られた件について、多くは語らなかったし、うまく説明もできないようだった。


陶子は扉を開けると泣いていて、しゃくりあげていて、抱きしめて、涙を拭いて、憤慨して、
あの時の私にはそんな単純なことしかできなかったのだ。


学校に電話で報告すると、近田君が飛んできた。


下校時にそんな危険な目に合わせたことを本当に申し訳ありませんでした。と謝罪した。


近田君は、配慮が足りなかった。自分の責任ですと、頭を下げて涙を流した。


青柳、本当にすまない、本当にごめん、と繰り返して、涙と鼻水を止められない近田君の悲哀に、陶子の涙は乾き、ティッシュを渡していた。


いつだって、謝るのは本当に悪い人ではないよね。


陶子は私にそう言った。


悪いのは、通りすがりに人を殴る人だ。


そしてその人は謝らない。


警察に通報した方が良い。と近田君は言ったが
陶子が嫌がった。


その時は、私もバカで陶子がそうしたいなら、
警察にいうほどではないと判断した。


陶子のことは伏せて、下校の注意喚起を行い、生徒会活動で遅くなった時には先生が車で送ってくれるというので、安心してありがたいと思った。


1週間後。


事件が起きた。陶子が殴られた同じ道で、小学生の女の子がバットで殴られた。


自転車に乗る男が、腕を伸ばしてバットを振り翳した。


女の子は、頭を怪我をして入院した。


陶子は、自分のせいだと泣いた。


自分がきちんと声を上げなかったから。


自分が面倒で思い出すのも怖くて警察に行きたくなかったから。


私は、私で私のせいだと自分を責めた。


私が陶子に本当に大切なことを導けなかったから。


私が陶子だけしか見ていなかったから。


私達は、小学生の女の子を思い憔悴した。


あの日の近田君のように心で謝り続けた。


陶子は、学校を3日休んだ。


4日目には普通に登校して、いつも通りに取り繕っていた。


賢い子だから、心配をかけられない。


それでも、陶子が陶子を許していないことも


満月の夜に早足になることも、


前からくる自転車に異常に身構えていることも

わかっていた。わかっても何もできなかった。


私はずっと、陶子の賢さに救われていたから。


そこから、しばらくして


陶子が実はあのバット男の最初の被害者で


酷いことをされていた。という噂が流れたらしい。


陶子がそれを知っていたかを私は知らないが、
周りの人が、妙に優しくしたり距離をとったり
遠慮するような仕草に、違和感を覚えていただろう。


本当のことをタイムリーに明らかにしなかった事態が、思わぬかたちを生んでいた。


止められない。それはもう抑制できるものではなかった。


事実を上回る想像力が、陶子の本当にいくつものベールを重ねていく。


なすすべはなかった。


ただひたすらに時間が過ぎ去ることを、何も知らない顔でいつも通り過ごした。


言葉を並べれば並べるほどに。


事実をそのまま語れば語るほどに。


人は付け足し、穿っていく。


直接に言ってくる人などいない。


ただ、陶子はいつも通りを振る舞いながらも、ゆっくりとじんわりと人を遠ざけているように見えた。


近田君が2回目に店に来た時


どうにかします。と言った。


何を?とかどうやって?とか思ったが、


お願いします。と言った。


近田君は、じわじわと陶子への贔屓を助長した。


近田君は、自分が陶子を好きなのではないかと周りに期待させるような振る舞いを続けた。


それでいて、恋愛スキャンダルめいたものには
一線を引いていた。


艶かしくならない、冷やかし程度の塩梅をコントロールしていた。


ゆっくりと話題がすり替わっていく。


その様は、淡い土色の近田君らしかった。


どこから?いつから?その境目はわからない。


陶子は、酷い目にあった可哀想な子ではなく


変わり者の教師に、好かれて困っている気の毒な女の子になっていった。

挿絵@微熱さん


ナポリタンができた。


具材は、ウインナーと、たまねぎと、しめじと、ピーマン。オリジナルだ。


トマト缶を入れてケチャップもたくさん。


粉チーズとタバスコを添える。


賑やかなみんなの席に湯気がたちのぼる。


はいよー、ナポリタンおまちー!


私の声にみんなが歓声を上げる。


虹子さん、ありがとう。


敬君はいつも礼儀正しい。


虹子ママ、やったー!大好き!


舞子ちゃんはいつも可愛い。


あつっ。近田君はいただきますを知らない。


全くもう。


うまいです、うますぎます、虹子さん最高です!


じゃないでしょ、近田君。


陶子が笑っている。ああ、陶子が笑っている。


目元がぷっくりしているから、多分沢山泣いたのだろう。


それでも、笑っていて、口の周りをオレンジにしてナポリタンを食べているから大丈夫だ。


近田君は、多分先生としては難があるだろう。


不足もあるだろう。


でも、どうにかする人間だ。


生徒を思い、生徒に寄り添い、生徒のために


自分の評判など気にせずに自分を差し出すことのできる人間だ。


本当のことほど人は気づかないし広がらないのだ。


陶子は可哀想ではない。

陶子は気の毒ではない。


陶子は、先生にも仲間にも恵まれた幸せな子なのだと思う。


こんなにナポリタンが似合うんだから。


口の周りをオレンジに艶々させて、おしゃべりの止まらないテーブルが虹色に見える。

イラスト@着ぐるみさん


美味しいコーヒーでも淹れようかな。


近田先生、コーヒー飲む?


と聞く。


私に先生と呼ばれて、近田君は、麺を頬張ったままびっくりしてこちらを振り返り、ごくりと飲んで、言った。


虹子さん、俺、先生ですか?


じゃなきゃ、なんなのよ。


近田君、あなた本当、変わりすぎよ。

イラスト:着ぐるみさん
見出し:くまさん
挿絵:微熱さん


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