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あちらもこちらも。


不適切にもほどがある。というドラマを録画しておいたものを見始めた。


たまたま帰省している長男と三男も一緒に観ていたが、世代が違うので面白い。


「そうだよ、こんなだった。」「信じられない、でもきいたことある。」のやりとり。


昭和と令和の対比を描いているが、いつのまにどうしてこんな風になったのか。としみじみ思う。


みんなが生きやすくなるために変化してきたはずだ。


こうなったらいいな、あんなふうにできたらいいな。


私は舞台になっている昭和の時代では10歳だったが、10歳の私には、自分が電話を持ち歩く未来も、その電話で見逃したテレビを見る世界も想像できなかった。


カセットテープに、歌のトップテンに出ている兵藤ゆきと高田純次のデュエット曲を録音するために(元気が出るテレビの企画だったと思うが希少なデュエット)、テレビ前にカセットデッキをセットし、やっと録音を開始したら、お母さんが「お風呂はいんなさーい」と言った声も吹き込まれて、おじゃん。
みたいなどうでもよい失敗が頭の片隅にこびりついている。


好きな曲が、レンタルCD屋に行かなくともスマホでサブスクで聴けるなんて、あの頃の私がきいたら目を丸くする。


まじでドラえもんである。


今や、みんながほぼドラえもんを手にしている。


私はやっぱりどうしてこうなったかの真ん中にスマホがいると思う。


今と比較したら不便で野蛮で抑圧的な時代だった。


ただし、プレスされたエネルギーが爆発するような衝動も許されていたように思う。


スマホがないから恋愛しかないし


スマホがないから喧嘩上等だったのかもしれない。


君の瞳に恋してるよりスマホの画面に恋してしまう方が、俄然傷つかない。


スマホはどこまでも使い手に寄り添う。


そりゃ、恋なんて後回しになるよ。


途方もない量のエンタメが手のひらにあるんだから。


相対して拳をぶつけなくても、指でダメージを与えるやり方を知ってしまった。


生きるを良くしようとして、私達は進化しているはずだけれど、幾つもの不適切を解消しようとして、なぜか息苦しい。


考え方は、層を重ねるように修正や改善を加えながら積みあげられる。


悲しい思いをしたら、そうならないように考えるし


悔しい思いをしたら、払拭する方法を探し出す。


情報がたくさんあれば、経験が増えれば、どんどん良くなると思うが、ドラマを見ていると
情報や経験が、行動を抑制することや、便利や
スマートが感情を去勢していることを感じる。


むずいな。と思う。


そして、自分が進んできた道のりであり、受けてきた恩恵に感謝や感激もありつつ、なんでこんな風になったんだろう?と首をかしげてしまう。


いつのまに。


今の間に。である。


このドラマは


みんながどこかで腑に落ちたり、気持ちが楽になったり、失ったものにある輝きや、今手にしている当たり前を尊く思えたりするから、
続きが気になるんだと思う。


不適切にもほどがあるならば。


適切にもほどがあるのだろう。


みんなが突き詰めた最良などないことに気づいている。


ぼんやりとうっすらと。もっとクリアでないものに混濁した何かに、甘えてみたいってことかもしれない。


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