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言い切る

歯切れの悪い言葉、

~かもですねみたいな言い回し、

断言しない言い方のバリエーションが増えた。


それは、断言してしまうと上の都合や機嫌で窮地に立たされる経験を繰り返してきたから身についた戦法だった。

そもそも仕事量に無理がある上に、上の言うことがコロコロ変わる、

お客さんへの建前と、本音。それを調整してから現場に下ろしてくれればいいけれど、両者を現場の人間にぶつけて、調整までさせたうえ、何かあった時に責められる役目まで担ってもらおうとする甘えん坊お上。


ただ「May I help you?」ってだけの気持ちでいたい。それに徹したいのに、

やるとお腹のあたりがキュウ~ってなるから、予防線をいっぱい貼る。


仕事をするうえで、

すがすがしさって大事だと思ってきたし、

できれば毎日すがすがしさとともに一日を終えたいけれど、

チキンな私にとってはそれが難しくなってしまった。


ここまでして生活の為に働いていったい誰が幸せなんだろう。

私もお客さんも経営者も

娘も

誰のためにもなっていないのだ。

(経営者的には、こんなことをウダウダ思わない人を雇った方が楽だと思う)

それを知りながら、

去ろうとしても何度も捕まえられ、掴んでくる腕を噛んでまでは逃げない。

私が自分を一番嫌いになる瞬間である。



ある時そんな職場で、ある人の身にある事が起こった。

詳しくは書かないが、仕事ではなくプライベートの範囲。

願っていることが叶わなかったそうだ。

しばらく前にも同じことが起こっていた。


その人が願う気持ちに、曇りがないことはわかっていた。

でもだからといって、その人はまだ、自分の生活を変えてまですぐその願いを叶えたいわけじゃ無い(まだ遊んでいたい、と小さいその人が言っていた)ように私には感じた。

でもいずれ叶うような感じがした。

この生活を諦めない限りは無理、でもいずれ来る。

しかも、すごく嫌だが

伝えるしかないという確信まで自分の中にやってきた。


仕方がないので、

「今その時じゃないだけで、いつか絶対叶うと思います。」

私は手紙を書いた。

おそらくその人のことだから、

軽率なことをいう奴だなと痛々しく思いつつも、励ましたくて書いてくれたんだろうなと、若輩者を大目に見るような気持ちで受け止めてくれただろうと思う。

それから時は流れ、その人のそういう話は一切聞かなくなった。


私の方では時折その時の記憶がよみがえり、

「あぁ~~~~~あんなことやっちゃったな…

一般的に考えたら叶わない確率の方がずっと高いよな…

ある意味めちゃくちゃ残酷なこと言ったよな…」

と枕バンバンしたりしていた。

そしてこのことを思い出すたびに、自分の感覚をもう信じたくない…みたいな自分不信に陥っていた。


ところがそんなことがあったなんてお互いに記憶の彼方へ消え去ったかと思われたある時。

その人は職場を去ることになった。

あのときの願いを叶えて、である。


わたしはひとり

へなへな~~~っとなった。

なんだ、やっぱり、準備ができたから、ああ、やっぱり、よかった…

そして知らせを聞いたのが、その人との最後の接触になった。


もちろん絶対なんてないのだし、

傷つける可能性があったことは確かだ…

(そもそも、私が言ったおかげで叶ったわけじゃない)


だけど、それでもその時の役目を無視しなくて良かったと私は思った。

謎の役目だけど。

やっぱり世界はここにつながってて、これが世界だ、と静かに思って、

もうこのことを忘れることにした。


意味の無い言葉ばかり垂れ流してる毎日だけど、

私だって生きてるんだよ、命の言葉がある、と仮面のなかで思った。


言い切る、それには力がある(願いをかなえる力という意味ではない)。

人と関わる意味のようなもの。

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