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メンヘラとして

私はメンヘラだ。
コミュ障でありメンヘラだ。
いい年こいて、痛いなと思う。

いつかメンヘラじゃなくなるんだと思って生きてきたが、

最近調子良いじゃん、私生まれ変わったのかも!!と何度も何度も希望をもつものの
期間の長さや落ち込みの深さに差はあれど、
またいつの日かメンヘラモードに陥り、
「私って結局こうなんだ‥」と自分に失望する。

原因はいわゆる幼い頃の愛情不足、
子供時代になんかしらんけどむやみに厳しくされ続けたこと(親が一生懸命だったのは勿論知っているし今となっては許している)。

つまり、
自尊心て何それ?のまま大人になってしまったこと。

更に、
身を守るため、機嫌の悪い人の傾向と対策を練り、
先まわりして心象を良く努めつつ
コソコソと息抜きをして心を保たせてきた毎日が、
そもそも自分というものがどれなのか大変分かりにくくしてしまった。

あの人に怒られるか否かという基準最優先で生きてきたために、

自分が何をしたいとか、
自分が何を選べば心地良いか、
はたまたどう生きていくかなんて、
「怒られないように」以外に殆ど何も持ち合わせていない(心の奥には本当はあったのだしゼロでは無い。しかしこの一つが強力だった)まま大人の年齢になってしまったのである。

私の中にはまずは
「愛されたい」それしか無かった。

「愛されたい」は私にとって、
自分を受け容れ理解して欲しいということで、
つまりは私が親から得られなかったものであった。

もちろん、
「愛されたい」しかない状態で望む愛に出会える訳がない。

私が見ていた夢‥

「いつか強くて美しい大人になったら、
誰かが私を見つけて大事にしてくれる!」っていう夢。


いつかなんて来ないのに。

ダメな自分は治るもんじゃないのに。
ダメな自分とイケてる自分はどっちも自分でセット売り(プライスレス)なのに。

「愛されたい」の叫びは、
自分が自分に訴えてるんだよ。

私を愛してくれ!!!
無条件に、愛してくれ!!!ってな。

(それができて初めて、人を愛すことができるようになるってわかってる。)


少しだけ大人になった私は今思う。

もはや、一生メンヘラでもいいよ。

それも私なら。

大丈夫だよ。

辛いときがあってもいいよ。

これが私なら。

人にダメだと思われてもいいよ。

私はここにしかいないんだから。

私なりに人生を歩んで来たんだから。

大丈夫だよ。「今」大丈夫だよ。
「今」あなたを愛しているよ。

メンヘラとして生きて行ってもいい。
それも私ならばと、そう思う。








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