Ayakovsky/アヤコフスキー

精緻な言語を曖昧に操る日本社会に怯える 下町の暴れ者。 空気を読むな、本を読め。 やっ…

Ayakovsky/アヤコフスキー

精緻な言語を曖昧に操る日本社会に怯える 下町の暴れ者。 空気を読むな、本を読め。 やっぱり猫が好き。雑な人間です。 平安目ロシア科フランス実存派。 https://anchor.fm/switch-radio

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最近の記事

ー ゲンズブールの亡霊 ー

試写室より愛をこめて「ジェーンとシャルロット」 女の敵は女だ。 物心ついたころからそう思っている。女が嫌いだという話ではない、女は油断ならない、女は面倒くさい、というステレオタイプな話を実録以外にも映画や文学や噂話含め女として体験してきた私自身がそう感じているだけだ。実際、好きな男が絡めば女はあっさり女友達を捨てるものだ。[女の敵は女]説のきっかけは、ボーイフレンドに浮気された友人がなぜか浮気相手を責め敵視するというシチュエーションを目の当たりにした時だった。いやいや悪い

    • Je t'aime moi non plus

      3年くらい前に大事な友人を病気で失い、それから人が亡くなったときに悲しむのをやめたのですが、会ったことのない有名人で尊敬やシンパシーを強く感じている人を失うというのは、またちょっと独特の感情がありますよね。どういう言葉を以ってしてもフィットしない喪失感みたいな。坂本龍一さんに続き、ジェーン・バーキンさんの死はその独特な感情を生み、ちょっと引きずっています。 Paris Matchという、まあゴシップ誌みたいな雑誌にもジェーン・バーキンの記事はたくさん出ていて、その中にエルメ

      • Are you lost?

        若い頃、砂漠で死にたいと思っていた頃があった。鳥取にすら行ったことのない私は砂漠をこの目で見たことはないのに、何故そんな風に思っていたのかわからない。自殺願望があったわけでもなく、脳内にある砂漠への憧れみたいな気持ちと、命の源である水が絶たれた世界に「死」をイメージしてそんな歪んだ妄想に繋がったのかもしれない。むろん今はそんなことは思っていない、中二病みたいなものだったのだろう。 そんな私にとって、その「砂漠で死にたい欲」を満たしてくれた映画がベルナルト・ベルトリッチの「シ

        • サブスクリプション

          かつて映画を見る手段が映画館とテレビしかなかった頃、テレビで映画を見る 前には「映画評論家」による前説があるのが定石だった。特筆すべきは「日曜洋 画劇場」の淀川長治さんの名調子で、私が好きな彼の言葉の一つに「映画とは、 国と国の垣根をなくすこと」というのがある。映画を通じてさまざまな感情や文 化の違いに触れ、理解を深めてゆくことにこそ映画の意義があるということなの だろう。  いまやインターネットの普及で「サブスクリプション」と言われる「定額制で 見放題」の配信サービスが主流

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        • 卓上手記
          36本

        記事

          卓上手記<ひかりごけ イレブン☆ナイン>

          To be or not to be, that is NOT the question. 「食うべきか、食わざるべきか それは問題ではない」 「ひかりごけ」は戦時中の真冬、陸軍の徴用船が知床で座礁し、7人の船員のうちたった一人生き残った実話をベースにした戯曲だ。サバイブした船長は生還後ヒーローとして扱われるが、証言に疑問を持った人間によりのちに「仲間を食って生き残った」という事実を暴かれ一転「罪人」として裁かれることとなった事件だ。 と、わたしの知る限りあまりにテー

          卓上手記<ひかりごけ イレブン☆ナイン>

          舟歌

           ポーランドの首都ワルシャワで5年に1度の「ショパン国際ピアノ・コンクー ル」が開催された。今回からその様子はユーチューブで生中継され、本選まで全 ての演奏から優勝者が決まる瞬間までスマホで楽しむことができた、しみじみすごい時代になったものだと思う。  日本にはショパン愛好家が多いと言われており、私がピアノを習っていた子供 時代にも好んで選曲されていたように記憶している。抑制の効いた悲しみや怒り、慈しみの表現。それは、日本特有の「もののあはれ」という言葉に集約されるような滅び

          スイッチ

           私はスイッチを押すのが大好きだ。リモコン、照明、ブレーカー、エレベー ター、生活の中にさまざまなスイッチがある。市電やバスの停車スイッチもなか なかの押し心地だが、子供が乗っていれば「きっと押したいだろうなあ」とギリ ギリまで我慢する、笑われそうだが「好き」が高じて自分の会社の社名にもして しまった。  かつて「未来」を描いたSF映画にはスイッチがぎっしり並んだ巨大なコン ピューターが登場し、その姿にテクノロジーの進化を感じた。しかし現実の世界 では「タッチパネル」が幅を利

          辛い

           この春からフランス語のレッスンを再開した。「40歳は青年の老年期であり、50歳は老年の青年期である」とはビクトル・ユーゴーがのこした言葉だが、再び学びたくなったのは第二の青年期として悪くないタイミングだったかもしれない。  普段、表意文字である「漢字」を用いる国々は言語が違えど文字を介して理解しあえるシーンがままある。アルファベットもまた国が違えど似た単語が多々あるが、中には「音」が似ていても意味がまったく違うものもある。  例えば仏語で「働く」ことをトラバーユ、英語で「旅

          お後がよろしいようで

           日本に生まれ育ち、ほぼ日本語だけを話して半世紀を過ぎたというのに、本来 の意味を知らずに勘違いしたまま使っているという言葉がままある。  大人になると学びの場も減るが、ネット社会では膨大な数の情報にアクセスす るようになり、たびたびハッとさせられる。今ままで間違いに気づいた友人たち が「ここは指摘せずに流しておこう」と気を遣ってくれたのだろうと思うと、恥 ずかしさが増幅する。  最近分かった言葉は「お後がよろしいようで」という落語で聞かれる締めの言 葉だ。落語に触れた始まり

          お後がよろしいようで

          ナウシカとコロナ

          6月上旬、初夏の爽やかさを飛び越し、真夏のような日が続いた。  長い冬を強いられる道民としては予期せぬ夏日は歓迎だが、今年は勝手が違う。マスク着用で不快指数が上昇し、陽気より息苦しさが勝る。  ある日、向こうからマスクをしていない青年が歩いてきた。「なぜしないのか!」と内心ではいら立ったが、冷静に考えるとここは屋外。道ゆく人はまばらで、換気が「いい」「悪い」などと議論の余地もない。思い直して自分もマスクを外してみると、ライラックの香りを内包した優しい風が頰をなでた。  爽快感

          オリンピック・マンボ

          朝、ラジオを聴いていたらマンボがどうのと聞こえてきた。音楽の話ではなく、耳を傾けると新型コロナウイルス関連のニュースだった。  コロナと向き合ったこの1年以上の間、「3密」「濃厚接触」「ステイホーム」「オーバーシュート」と、注意喚起や感染防止を訴えるさまざまな言葉が生み出された。  新たな言葉が、マンボと聞き違えた「まん防」。正式名称は「まん延防止等重点措置」だ。何でもかんでも短縮し、「言いやすさ」「覚えやすさ」を演出するかのような言語感覚には正直うんざりする。本来は明るく陽

          オリンピック・マンボ

          それはせんせい

          街角で「先生!」と叫んだら、どれくらいの人が振り返るだろう。この世にはたくさんの先生がいる。  子供のころなら学校の教師や習い事の講師を「せんせい」と呼び始めるところからスタートするだろうが、大人になるにつれ、その数は増えていく。医師、弁護士など社会的地位の高い職業から音楽家、画家、作家など芸術家への呼称でもある。  漢字のまま解釈すると、「先に生まれた」となる。人生の先輩への尊敬の念が、特殊な技能や知識を持つ「特別な人」を指し示すようになり、先生という総称になっていったのだ

          色あせない思い出

           懐メロといえば、古い世代が懐かしんで聴く流行歌の代名詞だが、いつの間にか私も「古い世代」になっていることに気づいた。「歌は世につれ、世は歌につれ」とはよく言ったもので、懐メロを今聴くと「こんな歌がはやっていたのだな」と隔世の感がある。  昭和の演歌は、捨てられた女の恨み節、もしくは「捨てないで」とすがる女の未練にあふれている。当時の若い女性アイドルの歌でも「一番大切なものをあげる」や「もうすぐ食べごろよ」だったりと、若い娘に歌わせるには意味深でみだら。良くも悪くも昭和という

          点取り占い

          「点取占い」をご存知な方はどれくらいいるのだろう。 これは駄菓子屋などで売られていた子供向けのおもちゃで、おみくじと同様に小さな紙が折りたたまれ、くるくると開いてゆくとシュールな言葉とイラストが登場する。「勉強して知事さんになりなさい」といった進言や「肝心なことを忘れている」という注意喚起、「変な気持ちになりました」という謎のメッセージや「鼻くそをほじくるな」といった子供受けしそうなものまでバラエティに富んでとても楽しい。昭和十年代に大阪の印刷会社が自ら図案を考えて商品化

          喫茶店

           「カフェ」という言葉が浸透して久しいが、私は「喫茶店」の響きの方が断然好きだ。両者が指す意味は、ほぼ同じかもしれない。でも、私の中では全く別な存在だ。  喫茶店について、勝手に決めた定義がある。家族で経営していて、モーニングを提供する。メニューにはマスター自慢のカレーライスがあるのが好ましい。ナポリタンもあれば最高だ。テーブルにはシュガーポットが常設され、コーヒーを頼むと、銀の容器に入ったミルクが出てくる。プラスチック製の小さな容器に入った「ミルク風味の油」ではなく、ちゃん

          新しい朝

          「昔はよかった」と言い出すのは、古い人間になった証しだろうが、そう思わせる存在にテレビがある。  かつてテレビはお茶の間のだんらんの中心にあったと言っても過言ではない。家族で楽しめる番組がたくさんあり、子供からお年寄りまで口ずさめる流行歌も放送された。たった15秒間で映画1本分の心の揺さぶりを与えてくれるテレビCMも多かった。フランスの詩人アルチュール・ランボーやスペインの建築家アントニオ・ガウディといった文化人もCMを通して知ることができた。  当時はブラウン管の中の人たち