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XPD/初の海外アドベンチャーレース

アドベンチャーレースといえば、レイド・ゴロワーズやエコ・チャレンジ、そしてサザントラバース。
たしかにこれらのレースは歴史的によく知られているのですが、私が海外を撮影しはじめた頃にはこの3大レースは開催されておらず、アドベンチャー・レーシング・ワールド・シリーズ(ARWS)がスタートしていた。

開催地にはフランス、スイス、アメリカ、南アフリカ、アブダビなどがあり、シリーズを指揮しているのが、オーストラリアに住むクレイグとルイーズだった。今もそれはかわらない。

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そんな彼等が主催するXPDは、毎回州を変えてレースを開催している。
私の海外レースの撮影は彼等のレースが初。彼等のレースを追うことで、少しずつ海外レースでのチームの追い方を学んだ気がする。当然、主催者によってやり方が異なることもあるし、言語の違いでより難しくなることもあるが、一つハードルを越える機会となった。

国内のレースでは最長で3日間、
ところがこのレースは1週間近く追うことになる。
前後考えると10日間ほど。
さらに初レースとなったXPDは、
地図の枚数が47,8枚に及んだ。

これまで海外にいくときは雪山がメインだった私には、
スキー場さえわかれば良かったが、
アドベンチャーレースはそうもいかず、
土地勘がない私は、現地に着くなり、携帯のチップと地図探し、そして食料調達が必須。国に関する情報も必要だった。

初回のレースはタスマニア。

タスマニアという島がどんなところなのかもわからず、
ましては、そんなところで一人夜通しチームを追う自信はなく…
結局、日本から一人アシスタントを同行し、
またタスマニアに住む日本人に通訳をお願いすることにした。

このときのメンバーは本当に最高で、
未だ信頼を寄せている。

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レースは、
選手達も楽しみだと思うが、
実は追う側もワクワクする感情は変わらない。(と私は思う)

楽しみ方は選手とは違うが、
選手を追う過程、当然トラブルも多い。

初めてのレースでは、思い通りに行かないことに苛つき、
レース中、何度もオーガナイザーと言葉ができない状態で喧嘩をした。
車の中でもかなり愚痴っていた気がする。

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ただ…

自分でレースを運営してみると、
その大変さがわかり、
あのときは申し訳なかったな〜と思うのである。

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レースは
前半、撮ることに追われ、
写真も半端ない枚数になる。

データをハードディスクに落とす作業。
その前にコンセントのある場所を探すこと。
メディアによってはWiFiのある場所を探したり…
とにかく、やることはいろいろ。
ーー
このレースではないが、ガソリンを入れるだけで
往復6時間かけて車を走らせたこともある。
ーー
ところが3日目になると、
選手達と会える機会が減り、
選手達と会えたときのうれしさは、
選手達がカメラマンの姿を見て「ルートは間違ってなかった」と安堵するのと同じくらい感動するのである。

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チームと会う機会が減ると、
なぜか自然観察が増える。
普段は苦手なは虫類も被写体に。

そして五感が鋭くなる。
特に選手達を探す目(視覚)、音(聴覚)、たぶん鼻(臭覚)、天気による湿気(触覚)など。

とにかく「待つ」のみ。

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それと同時に、
最近はトラッキングとにらめっこ。

トラッキングを散々見ていても、
会えないこともある。
疲れて睡魔に襲われた瞬間に
想定していた場所から先に行ってしまうことも少なくない。

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その分、会えたときはシャッターを押しまくる。
(逃したくないと思うからかも)

レース中の選手達は、当然ゆっくり眠ることはほとんどできないが、
追う私たちも、寝られないわけではないけれど、
ゆっくり寝てもいられない状態が続くのである。

スノーボードの取材がメインのときは
「夜通しの取材なんてあり得ない!」
と思っていたのに、そのすべてが楽しくて
ついついレースを追ってしまうのだ。