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母のお葬式が終わった後の、スパゲティーの思い出

2020年5月20日の日記。Twitterの相互さんとお話していて、故郷(兵庫県)の現状を知ったことから、父のことを思い出したことを書きます。

20歳まで兵庫県尼崎市に住んでいた。塚口駅前にあるショッピングセンターで、ほぼ毎週のように出かけたショッピングセンター「塚口さんさんタウン」は今となっては古さが目立ち、一部は取り壊されてマンションになるようだ。(取り壊されていることはTwitterの相互さんから聞いて、今日知った。)

スパゲティーの店での父の言葉

母はずっと病気がちで、救急車にも何度も運ばれた。病弱な人がいると家族が団結するかといえばそうでもなく、父は母が倒れて救急車で呼ばれるたびに面倒そうにしていた。すごくケチで喫茶店にも連れて行ってくれなかったし、外食に行っても決して食後の飲み物はオーダーさせてくれなかった。

母は平成8年に他界した。ずっと病気がちだったけれど、予兆なく突然亡くなったので、お葬式が終わってもみんな無言だった。お葬式が終わり、その足で地元で人気のスパゲティの店に行った。父と弟と私でご飯を食べた。

私は新卒で就職し大阪で一人暮らしをしていたので、久ぶりに行ったそのお店のスパゲティは美味しかった。

「なんか(デザート)頼めや。」

ぶっきらぼうに父が言った。私は遠慮したが、メニューを無理やり開いて選ばされた。今まで貯金優先だったのに、母が亡くなって後悔しているのだろうか。

いまは父は再婚し、父とは疎遠になっている。でもスパゲティーのお店で言われた言葉を思い出すたびに、死ぬ前までには仲直りした方がいいのかとも思う。近いうちにタントでスパゲティーを食べたくなった。

※今日は「みんなのフォトギャラリー」から、思い出にぴったりのスパゲティーが似合うイラストをお借りしました。パスタでなく、レトロなスパゲティ。


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