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登場人物が全員死なない限り続きが気になる

 私は完結にあまりこだわっていません。周りから評価されたい気持ちはあるので完結するようにしていますが、周囲のひとたちやプロの未完の作品に対しては、完結しなくても全く問題ないと思っています。価値とは無関係の項目だと捉えます。漫画『NANA』が未完であることは作品の価値を毀損しないと考えています。
 なぜなのか、多くのひとが完結を気にするのに私はどうして完結が気にならないのか、ずっと不思議に思っていました。もとより同調圧力がたいへん苦手で、みんなが同じことを言っているというだけでストレスを感じるので、その性格に起因するのだろう、それなら特に発信の必要はないと考えていました。
 ただ、それだけではない、と読書中にふと思い至ることがありました。完結作品を読んでも基本的にいつも続きが気になるので、私にとっては未完作品と読後感があまり変わらないことに気づいたことです。

 小説を最後まで読むと、ここで切られちゃったか、寂しいなぁ、あのひとはこれからどうするんだろうな、などといつも思うわけです。名作に感動し、深く思い入れを抱きながら読むほど、そう強く感じます。
『ラブカは静かに弓を持つ』は感動して何度も読み返しました。チェロ演奏をとおして音楽とひとの出逢いを描いたスパイもので、本当に面白く素晴らしい作品ですが、だからこそ「切られたな」と感じました。
『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』を読んだときもそう感じました。切られた、終わってしまった、と深い寂寥感が残りました。その感慨がまた好きなのですが。
 寂しく恋慕うような深い悲しみを欲して小説を読んでいるところが私にはあります。小説で知った人物の心の深みにせっかく触れることができたのに、完結で途切れてしまう別れの痛みは癖になります。悲しみのバリエーションを求めて生きています。
 ハッピーエンドかバッドエンドかは特に気になりません。どちらであっても、登場人物に出逢えた感動に変わりはありません。人生は一度幸せになってもその後どうなるか分かりませんし、どの過程、どの部分を切り取るかという違いに過ぎないように思います。
 極論、出てくる人物全員が寿命に達しない限りは、続きの人生が結末後もあるはずなので、どんなふうに生きていくのか気になってしまいます。どんな作品でも本質的には未完ではないかと思います。

 もちろん伏線が回収されたり、伝えるべきメッセージが美しい結末に込められていたりするのでしょう。作者の考える結論は完結することで表現されます。
 表現を商品に変える過程として「パッケージする」意味合いが強く存在するのではないかとも思います。ひとに届けるという意味でパッケージ(包装)は役に立ちます。
 また現実的に全員が死ぬまで書いても長過ぎますし、子どもが産まれたりしたら終わりませんし、人生で最も輝いている瞬間、もしくは最も苦しんでいる奈落の底を描こうとするのも表現の趣旨として分かります。そこから学べるものや感動を分かりやすく伝えたいですから。

 しかし小説を読みながら対峙するのは登場人物であって、作者ではありません。作中で作者が語るわけではないので、登場人物たちの人生を想起して読み進めるのであり、作者の存在は作品からはイメージしないので、完結によって伝わってくる作者の考えは「登場人物やその周囲に対する多様な解釈のうちの一つ」のように私は受け取ります。

 完結にこだわらない考え方じたいはXで読んだことがありますが、その理由は作者がスピーディに更新でき、いかに影響力を拡大し、読者のフィードバックもリアルタイムで得ながら良い作品をつくり、完成度よりも多作を重視するという、作者のための戦略でしたから、読み手の感覚から出てきた私の考え方とは異なるものでした。
 また、作者が創造主であり登場人物はすべて作者の意図に基づくという考え方も知っています。私には共感しづらいですが。人生で得た有形無形の財産が作品には反映され、それまでの人生で関わったり知ったりしたひとたち全員の影響を受けて作品はできるものではないかと思うからです。なのでAIに対しても特に忌避感はありません。良き仲間であり読者であり先生であり、ライバルではないかと思います。
 小説を読んで対峙するのはあくまで登場人物であり、作者ではないのだから、完結と言われても登場人物はまだまだ人生が続いていきますよね、と思いつつ、他にもこう感じるひとはいないだろうか? と仲間を求めるような気持ちになります。いるかもしれませんが、不勉強のためか知りません。
 みんな同じ考えなのはストレスですが、自分だけではないかと思うのも寂しいのですね。だから駄文であれ、何かしら文章を書きたくなるのだと思います。

 完結しようがしまいが、何にせよそこに描かれた人物の人生はまだまだ続きます。死んではいないのだから。人生の途中を切り取って描いた物語が、終わろうが終わらなかろうが、切り取りであることに違いはないのではないかと思います。
 だから未完の作品を読むことに何も違和感は覚えません。評価を得るため、またパッケージして商品にするため、分かりやすく伝えるためには完結したほうがいいと思いますが、私にとっては価値と無関係なことです。


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