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沖縄の道(4日間)

印刷立会いの日程が決まらないのでぐずぐずしていたのだけれど、ようやく思い切って沖縄に行くことにした。佐久間裕美子さんのトークイベントが「宮里小書店プレゼンツ」で開かれる、というのだから。宮里小書店は那覇の栄町市場にある本当に小さな古書店。宮里千里さんと綾羽さんの父娘、綾羽さんのパートナー高志さんがプレゼンツ。佐久間さんとのトークは2015年以来。ここでは「ねーね」に対して「あやめん」になる。GEZANのマヒトさんの文章も沖縄行きの背中を押してくれた。

冬から夏への移動。海からの風を受けるゆいレールに乗るとまだ10代であろうピンクの半袖シャツとデニムのワイドパンツのカップルが土曜の牧志へと楽しげに降りていく。こちらは栄町市場横のりうぼうの駐車場に着くと綾羽さん高志さんと双子たちが出迎えてくれる。宮里小書店で千里さん、横の衣料品店のレジェンド金城さんに会って、コーヒーのpotohotoへ行くといつもの人だかり。エチオピアから、ベトナムから一時帰国した人たち、京都から調査に来た人(大下さん)、「あやは〜」と肩を叩いていく馴染みの市場の人たち。グローバルやコミュニティという言葉なんかほったらかしにして人が快活に行き交う。イタリアの研究者がここには昔のパリがまだ残っているって、と綾羽さん。市場の洗礼。potohoto(台湾から豆を直接仕入れている)の山田さんは来週末に台湾のディープなコーヒー屋さんを沖縄に呼んでフェスを開催するそうで、お客さんそっちのけになりそうなくらい熱のこもった演説でその先にコーヒー仙人という像が結ばれる。夜ご飯は大下さんも一緒に市場入口にある一番餃子屋。大連出身の方がやっていて二号店もあるほどの人気ぶり。スパイス含みの餃子が生ビールを何杯も呼び込み、暮れゆく光の名残の中を初夏のような風が撫でていく。那覇市長が「千里さん〜」と声をかける。手づかみでチャーハンを試食する「変人」の屋宜さん。綾羽さんの本『本日の栄町市場と、旅する小書店』を読んで市場の人たちの顔がもっとわかるようになった。飲み足りずに千里さんたちと大ちゃんへ。外机で泡盛ハイボール。マグロのぶつ切りが美味しい。「飴ニモマケズ鞭ニモマケズ「唯一」ト押シツケヨウトスル一強ニモ負ケヌ固イ意志ヲ持チ…」と張り紙がある。近くにいたという木漆工とけしの渡慶次さんも加わった楽しい夜に無理やり区切りをつけて、滞在中お世話になる綾羽さん高志さんの家へ。赤ワインが一本開く。何を話したんだっけ。ざっと雨が降り出し、明日の天気が心配になる。

2日目は佐久間さんトークの日。足の速い雲から晴れ間がのぞく。みんなで那覇空港まで迎えにいくと、鹿児島から塁さんも一緒。車の中がぱっと華やぐ。沖縄そばのゆうなみでよもぎを練りこんだ麺のそばを食べて、会場の北中城村・プラウマンズランチベーカリーへ。天気も心配だけれど今日はビールが出ないんじゃとも心配になって途中のローソンでビールと泡盛(登壇者用)を買い出し。丘を登った先のプラウマンズではもう店内の解体準備が始まっていて、オーナーの龍馬さん、スティールパンを演奏するミノルさん、DJのSHO-TAさんたちに挨拶。強く風が吹き付ける緑の庭からは市街が見下ろせて、すぐ目の前の普天間基地の向こうが海だ。店はもと米軍将校の住宅をリノベしたもので、庭にかかるテントも米軍が使っていたパラシュート、と千里さんが説明してくれる。練りこまれている、と思う。ぼくは学生のあかりさんと一緒に駐車場係。辺野古のことで若者代表としてテレビに出たりと地元ではちょっとした有名人らしい。丘の上では昨晩の雨でより一層濃さを孕んだ緑が雲を流す強風に揺れてざわめく。続々と車。最後のほうにやってきた水色シャツの女性が通り過ぎたあと思い出したように戻ってきて、「あ、いいもんあげます」。手を開くとお雛さまのチロルチョコだった。

店に戻るころには雨が降り出したけれど、店内も外のベンチも満員。入り口で綾羽さんが受け付けを切り盛り。2歳くらいの赤ちゃんから80歳のファンキーなおばあちゃんまで、龍馬さん、佐久間さん、千里さんとNY→沖縄→キューバと続く話の旅に同乗する。Daddy-Pこと岡田さん、SHO-TAさんが話にあわせてカリブなレコードをかけるのでラジオを聴いているよう。トリニダード・トバゴのコンテストにも参加したミノルさんのスティールパンに耳を澄ます。奥のキッズルームではつないだモニターからトークの様子があさイチみたいに流れていて親子で遊びながら見られる。BMXのハンドルにその名前が付いているように、これを考案した高志さんにちなみTAKASHIモデルと呼びたいくらいのすごい発明。最初は東京で会った小池美紀さんたちともここで会い、市場の中にイベントが含まれている感じがした。佐久間さんのZINE第2号(ホピの踊り/沖縄の秘祭)がありがたいギャラだ。打ち上げはジャマイカンバー&グリルのFLEXでロックステディが流れるなかジャークチキン。来る途中、右も左も基地という道を通るとき千里さんが東松照明の写真集のタイトルをつぶやいた。「沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある」

翌日はみんなで久高島に行くことに。12年に1度の午年に行なわれる神事「イザイホー」(年間30ほど行なわれる島の神事を司どる神女のいわば入団式)で知られる神の島だが1978年を最後に行なわれていない。千里さんはそのとき採音者として写真家の比嘉康雄さんと立会い(新婚旅行が久高島の取材!)その様子は千里さんが出したCD『琉球弧の祭祀 久高島イザイホー』に鮮明に記録されている(丁寧な解説つき)。夏のような日差しのもとBMXを搭載した車で安座真港まで20分(東から太陽が一直線に来る道だ)、そこから1時間に1本出ているフェリーで15分。港で渡慶次一家と合流し春の家族キャンプの様相に。風で荒れる波のしぶきが窓に打ちつける。千里さんから島の名物いらぶー(ウミヘビ)の採り方を教わる。島に着くと自転車を借りて(終日1台1000円)双子ちゃんのBMXを船頭にママチャリの隊列で海岸沿いの白い砂利道を進んでいく。右に防風林、左には畑と緑が広がり、夢のような景色。ところどころで自転車を止めて、千里さんによる贅沢なガイドが始まる。久高島では土地は所有できない。島から「借りて」各人が区分ごとに耕したり、その上に家を建てる原始共産制を貫いているという。イシキ浜ではニライカナイと旧正月の神事の説明。危険な漁業へ繰り出す島の男性たちの安全を願う女性たち。女性たちは太陽に向けて白い装束の前を開けて体に光を取り込む。そういえば千里さんが車の中でニライカナイのとある定義を言っていたのが聞こえた。「太陽がその都度昇る方向がニライカナイだから、その都度その場所も変わる」

琉球開闢の祖アマミキヨ(「天」というより「甘」という含意があるらしい)が降り立ったといわれる最東端のハビャーンで人生最高のじゃがりこを食べたあと折り返して、来た道を戻る。久高では浜の貝殻も野に咲く花もなにひとつ持ち帰ってはならない。神聖なクバの木は朽ちたままに放置されまた再生する。港近くの、安室奈美恵のサイン色紙が2枚も掲げられている食堂・さばにで昼食をとり(分けてもらった海ぶどう丼がおいしい)、今度は村のほうへ。村で唯一の小中学校の横には津波が来た際の避難塔がいちばん高くそびえる。石垣の組み方でその家のランク(一番偉いのは中国へ貿易に行く船長たち)がわかるという。途中、何気ない路地で千里さんが「ここでなにか感じる?」とみんなに問うた場所が島の中心地で「島軸」と呼ばれる。みなでめいいっぱい天を仰いでパワスポ写真撮影。その先にイザイホーの舞台となった庭と社「御殿庭(うどぅんみゃー)」があらわれる。神女たちが駆けて入っていった社の先は森のようになっていて(イザイ山)、男子禁制、そこで何が行なわれたかは女性しか知りえない。島では女性が守り、男性は守られる立場。以前、古書ほうろうで千里さんが大竹昭子さんに語った、島の神事が残るには男性の論理(や力)が必要だがそうすると神事自体は祭の本質からずれていく、という話を思い出す。芝生の庭はそうした神事を思いをはせるには夢のようだけれど、千里さんの目には40年前の出来事が昨日のように映っているのだろう。村の至るところで「せんり!」と人々が声をかける。前の村長さんが島で取れたどでかい大根をお土産にたくさんくれる。港で会ったおじさんからは、下に降りたら良いもんがあるよと謎をかけられ、乗り場の岸壁を見ると自然発生したサンゴがたくさん水色の中に息を潜めていた。

本島に戻ると、陶房眞喜屋のやちむん工房に立ち寄ってもらい、お土産に目玉柄の小皿を買う。横の工房に眞喜屋さんが案内してくれて、天井の板にたくさんの出来立ての器が並ぶなか、同じ作り手の渡慶次さんはその話に興味津々。夜ご飯は首里の千里さんのお家のほうでということになり、栄町市場に買い出しに。八百屋、魚屋、天ぷら屋といつものルートをすいすいと巡る綾羽さんに子供のように付いていく。戻ると大手巻き寿司大会が始まって、市場の刺身がどんどんなくなる。高志さんの首が日焼けで真っ赤になってて痛そう。お酒が入るとどんどん陽気になる渡慶次さんがかわいい。政治の話もなにもかも海苔に包まれてお腹を満たしていく。まだお腹空いてるでしょ、と栄子さんの作るちゃんぷるー。出がけに渡慶次さんからドゥマゴ賞のお祝い、と漆の器をプレゼントされてしまう。ほろ酔いで首里の石垣を下っていく。ブレた写真はそれを写して正確だった。

最後の日はプラウマンズの平時モードでのランチを食べにいく。快晴。車中で参院予算委員会の様子をみんなで見る。いつ終わるかわからない、というかそもそも終わらない可能性が高い破壊的工事に大量の予算が投入されて民意が埋め立てられていく。防衛大臣と局長の、爪楊枝一本さえ立たないような虚ろな言葉がこの土地をただただ上滑りしていく。場所が言葉の真実を一瞬にして明らかにしてしまう。店に着くとちょうどSHO-TAさんも打ち合わせ中の奥の部屋で、おいしいパンやサンドのブランチ。名古屋から来ているご友人もいて、橋の下音楽祭や米原万里の話で盛りあがる。14時が飛行機なのでと惜しむように出て行って、SHO-TAさんが共同経営する北谷のアパレルショップVINYL MAGICへ。高志さんのTAB UNDERWEARもたくさん置いてある。ぼくはグレーのパンツを、佐久間さんは蛍光ロゴのスエットとバックを購入。最後の最後、駆け足で宮里小書店と栄町市場。途中、基地の中からそびえて並びはためく日本とアメリカの国旗が、どちらもよそよそおしく見えた。塁さんが米原万里の本と比嘉康雄写真集を買うあいだ、ぼくはpotohotoでお土産のコーヒー豆を。搭乗まで50分を切っていて、千里さん金城さんに急いで挨拶して空港へ。最近乗り遅れがちで焦っている横で、綾羽さん佐久間さんは「ぜんぜん大丈夫だよ〜」と。心配するのは男性だけだ。車中でRITTOのNINGEN State of Mind (pt-II) が流れて(連行された後に作ったアルバムタイトルが「OWN GOAL」というのもすごい)唄の話になり「戦後、沖縄がなんとかやっていけたのは唄があったからだと思う」と、綾羽さんに『島唄を歩く』という本を薦められ、お土産にと到着間際に布の切れ端を手渡される。知事選で頭に巻いたハチマキだった。ぼくには翁長さんの緑、塁さんにはデニーさんのオレンジ。運動会前日のわくわくした気分がよみがえる。搭乗まで20分、ちゃんと御礼を言う間もなくゲートへ急いだ。スカイマークが沖縄を離陸したあと、『MY LITTLE NEW YORK TIMES』の佐久間さんが前回沖縄に来たときの日をめくる。

「MAY 11, 2018 栄町市場で「黄金の花」を聴く
夜の終わり、栄町市場で、三線の渡慶次道政さんが「黄金の花」を歌ってくれた。「素朴で純情な人たちよきれいな目をした人たちよ黄金でその目を汚さないで黄金の花はいつか散る」。黄金(コガネ)という言葉が、「小金(コガネ)」に聞こえる。基地建設で壊される自然、「経済効果」と人は言うけれど、永久に破壊される自然に比べたら、入るお金はどんなに大きくても小金である」

黄金の花はいつか散る。ドン・ファンの言葉「わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する」(『気流の鳴る音』)が響き合う。黄金ではなく、心の花の咲く道を歩みたい。人間ステイトオブマインドでいたい。大事な場所はどこか海の向こうに定まってあるのではなく、花咲くごとにその都度生まれていくものなのだと。


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