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私がまた穏やかにならないように

花曇りの今がいちばん好きな季節かもしれないと思う。どんよりと鼠色に立ち籠める厚い雲の下で生暖かい風が身体の輪郭を確認して花をかすかに揺らした先へと消えてゆく。出会いと別れの季節とも言うけれどその予感も余韻も未来と過去のどちら側にも引き裂かれずに間延びしたまま地盤沈下するようになってしまってから何年経つのだろう。工事と予算と人事が消化される脇を明治から出てきたような艶姿がアスファルト上を明滅してゆく。平成最後の連呼は末法の世の到来のように人も言葉も消えた現世の中に居残って救いの二文字をただ待ちわびる。振り返る三十年の時間に未来を使うよりは夕立の雨足のように道路をかすめていくタイヤの音とともに光を落としていく窓外の変化を刻一刻とただ眺めていたい。時が来れば自然と暗闇が自身の姿を反射してくれる。「私は十一月の夢路を思い出し、送ることのなかった私信を思い出し、一九七〇年代のその歌を思い出した。そして思った、これらは全て口実で、私がまた穏やかにならないように、そして今の生活を嫌いにならないようにしているのだ」。高妍『綠の歌』。私がまた穏やかにならないように。阻止我再次變得溫柔。台湾の友人はそれをまだ冷静で感情が揺らがない人間になりたくない気持ちだと解釈していると教えてくれた。私はまだ穏やかにはなりたくない。感情の揺らぎに唆されていたい。平成なんか終わらなければいいのに。

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