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『平成トム・ソーヤー』の一部分


国立本店ほんとまち編集室「くにたち夏のほんまつり ~おいしく、とける~」(2019年8月23日~9月1日)の選書に寄せて書いたものです。

原田宗典『平成トム・ソーヤー』集英社、1992年

 大学受験が遠からずな高校のときに読んだこの本は、スリの神業が備わる主人公ノブオが理数の秀才スウガク、親指をしゃぶる癖のあるストレートロングのキクチとの高校生三人組で大学入試問題を盗み出すという冒険に乗り出す話なのだけれど、鳥取の暗い自室で繰り返し読んだのは、ノブオがキクチとお互いにはじめて「溶ける」新大久保のラブホテルのシーンだった。非在の童話『きつねのちょこれーと』を思い出しながら、「ちょこれーと」を捏ねて練り合わせるように二人は若さの匂う体を甘く交わらせ、「はちみつは彼女の中からどめどなく溢れ出してくる。みるくとくるみ。そういえばこの二つは回文になっている。ぼくがくるみで彼女がみるく、か。狐はあのちょこれーとをどうしたのだっけ?」。というか正直、読んだのはその箇所だけだったと思う。何度も。新大久保という街があるのかわからない自分にもいつかそんな甘い瞬間が訪れるのだろうか、と。いま物語をきちんと読むと、人々は「リゲインのコマーシャルみたい」に朝の職場へと急ぎ、カラオケボックスではプリンセス・プリンセスのリズムが流れている。90年代東京の消えた風景が、30年近くの時間をカットアップして、いまなぜかこうして東京にいる自分の中に流れ込んで混じる。僕のちょこれーとはどこに行ったんだっけ?

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