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先生、インパクトのある授業をお願いします

↓こちらの記事で谷川俊太郎さんの詩を引用させて頂きました。

ありがとうございます。


彼の詩は全くもって「意味不明」のものから、娘が言う「やべーやつ」もありますよねwww
本当に趣深い。
何とも趣深い。

そんな谷川俊太郎氏の詩で私が一番印象に残っているのが、超有名な詩「朝のリレー」です。

カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球で
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交換で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

(谷川俊太郎「谷川俊太郎詩集 続」思潮社 より)

この詩は、私が中学1年生の時の教科書の一番最初に出てきました。
なぜ、そんなに鮮明に覚えているかというと、その時の授業がとても印象的だったからです。
ちょっと当時を思い出しながら書いてみようと思います。

当時私は中学1年生、クラス担任は26歳の国語教師だった。
見た目はクマみたいだったので熊田としよう。
熊田は柔道部顧問でバリバリの体育会系の割に、出身大学は学芸大の教育学部という教師の中では超エリート級だったと思う。

そんな熊田は体育会系なだけに、イベントものには熱くなる。
合唱コンクールは2週間前から朝練、夕練、遅刻したヤツは腕立て伏せ。
運動会のリレーの練習も毎日ヘトヘトになるまで走らされ、水泳大会は全員泳げないヤツも半分溺れながら100メートル泳がされ、女子は生理でもタンポン入れて強制参加させられた。
そんな今の世の中じゃアウトな教師だったけど、授業はそれなりにインパクトを残してくれた。

上記の「朝のリレー」については、体育の授業でもないのに体育館を貸し切り、生徒を四隅に立たせ、大きな声で一文ずつ読ませられた。

こんな感じ

A:カムチャツカの若者がー

B:キリンの夢を見ているときー

C:メキシコの娘はー

D:朝もやの中でバスを待っているー

なかなか面白い授業だった。
物凄く印象に残っているが、熊田が私たち生徒に何を教えたかったのかはわからない。

古文の授業では名作の冒頭を覚えさせられた。
全部覚えるまでは許さない、全員合格するまできっちり覚えさせる。
一人一人に付き合い、冒頭をしっかり覚えさせられた。
生徒たちは「先生、お時間よろしいでしょうか?」朝だろうと、放課後だろうと、部活中だろうと、熊田をつかまえて聞いて貰うのだ。これが合格するまで延々と続いた。
そんなスパルタな事もやりつつ、熊田が顧問を務める柔道部の柔道場で百人一首大会をやったこともあった。すごく盛り上がって、楽しかったことを覚えている。


何十年経って今更ながら思う。

熊田はとてもいい先生だったのではないか?

私は、中学校の先生に対してものすごく恨みがある。
悩める思春期の頃に「理不尽な大人代表」と言っても過言ではなかった、その対象が「学校の先生」だった。

しかしながら、熊田は確かにイベントものに熱くなるという少々面倒くさい先生だったが、こと授業に関しては物凄く良かったという印象がある。

大人になってから「谷川俊太郎」と言われれば「朝のリレー」がすぐに出てくること、古文の冒頭を未だに覚えていること、それが中学校の時の授業がきっかけだという事は紛れもない事実である。

そっか、そうだよなぁ

熊田は私が思春期真っ盛りで反抗心ムキムキだった頃にも「平山はクラスの盛り上げ役。勉強だってもっと出来るはず。周りに流されずにいて欲しい」と言ってくれた。(そんな言葉は無視してしまったけどw)

私の勝手な持論なんだけど、学校の先生に求めるものって今はもう「授業の質」だと思う。昔みたいに型破りな事は出来ないかもしれないけど、子ども達の為に「面白い授業」ってものをやって欲しいと思ってる。
教師はプロでしょ?だったら、どんな授業が面白いか?どんな話をすれば興味関心を引き付けられるか?
いやもう、それこそかつての熊田みたいに、自分がやりたい、印象付けたい、と思うような事をして欲しいと思ってる。


今更ながら熊田先生ありがとう

国語は苦手だったけど、今は曲がりなりにも私のつまんない文章でも読んでくれる人がいます。あの時の先生のおかげとは決して言いませんが、本当にありがとうございます。

今更ながらのついでだけど、

中学2年の時、私はミカとメグと3人で新聞係をやっていたんだけど、熊田先生と数学のS先生がドライブデートしていたのを、クラス新聞で大々的に暴露してしまってごめんなさい。テストで静まり返った時、教室の真ん中に模造紙で書かれたその新聞を、熊田先生がまじまじと読んでいた時は心臓が止まるかと思いました。今更ながらごめんなさい。でも、その後熊田先生はS先生と結婚したからいいですよね。

今でも元気に教員を続けられている事を願っております。

って、60歳だと定年かwwww


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