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【昔話】大人になってからいじめられた話

散々パリピだの陽キャアピールしてきた私ですが、かつて一度だけいじめられた事があります。
その、あまりにくだらないきっかけと、卑劣さと、情けなさと、そこから抜け出した方法について書いていきます。

時代は2000年、夜はクラブだのDJだのだった24歳の私は昼間は大手メーカーの西東京支店で派遣社員として働いていました。

私がその会社の支店での「派遣第一号」だったので、普通に扱い方に慣れていない社員たちは、自分達と同じように「社員」として扱ってきたのでそれはそれは大変でした。
しかしながら、私は「お飾りOL」からはじめて「働く会社員」として仕事へのやりがいを感じ、毎日充実した日々を送っていました。

それまでの都心での会社員生活とは違って、社員同士がとてもフレンドリーで、よく飲みに行ったり、お花見したり、変な旅行にも行ったりもしました。仕事もとても面白くやりがいがあり、私は着実にその支店の「戦力」として認めて貰うようになりました。

そんな頃、取引先とのトラブルで私が滅多にしない残業をしていた時に、同じ部署の40代の高見沢さんから「アヤちゃんお疲れ様、トラブルも解決したし飲みに行こうか」と誘われました。そこで、残業していた30歳の独身B男さん、更にもう一人の40代のオッサンも誘って飲みに行きました。

30歳のB男さんは私と同じ歳のA子さんのお気に入りでした。A子さんは社外に彼氏もいたのですが「優しいB男さんが好き」と口癖のように言っていました。B男さんは「その気は無い」という事で完全なるA子さんの片思いだったのですが、A子さんは「いつか寝てやるわ!」と念仏のように唱えていました。

そんなB男さんと、A子さんに黙って飲みに行く・・・ちょっと引っかかりましたが、まぁ2人で行くわけでも無いし大丈夫だろうと思って行ったのでした。

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もう想像はついたでしょうか?

この1回の飲み会がきっかけで、私はA子から陰湿ないじめを受ける事になるのです。

・まず無視

小さな支店だったので全体で50人くらい、通常30人くらいが事務所にいる。その中でA子はあからさまに私だけ無視するのです。

・仕事をやってくれない

A子は支店のオペレーターだったので、メーカーの営業事務の私が発注業務をする際にオペレーターに頼むのは必須。しかしA子は「ムーリー」と言って私からの業務を全て断りました。

・本店のオペレーターにも無視させる

A子は本店のオペレーター仲間に「平山を無視しろ」と伝えていました。
私はA子が業務をやってくれないので仕方なく本店に電話をかけました。「平山です」と名乗るとあからさまに冷たい態度を取られ、発注を終えた後に時間ギリギリになって「在庫切れ」と知らされるという、業務に支障をきたすようないじわるをされました。

こんな状態では全く仕事にならないので、私は先輩社員C子さんに相談しました。C子さんは自分の社員パスワードを私に提示して、オペレーターを通さずに直接発注するやり方を私にこっそり教えてくれました。

C子先輩ありがとうございます

A子にいじめられるきっかけとなった告げ口をしたのは、紛れもなくこのC子先輩でしたけど。

・支店にいる他の人からも無視される

それまで普通に話していたのに、私は孤立無援状態になってしまいました。そういうのって女子だけでなく男性社員にも伝わるので、同じ部署以外の人で私と話をしてくれる男性社員はいなくなりました。

・悪口を言われる

私が席を立った瞬間に、A子が大きな声で悪口を言い始めます。いったい私が何をしたって言うのでしょうか?


結局

私はそのいじめが発生した数ヶ月後に派遣の契約を切る決意をしました。
もう耐えられなくなりました。

その頃、ちょうど正社員への打診や他の支店への異動などの話もありましたが、私はもうA子と関わりたくなかったのです。どこに行ってもA子の息がかかる事になるので、辞めるしか道は無かったのです。


仕事は仕事をしに行く所


そんなに割り切れる程、私は大人ではありませんでした。

大手メーカーでやりがいのある仕事でしたが、ちょうど同じ業種の他メーカーで契約社員として転職する事を決めました。やはりもう一度、都心で働く方がいいと思いました。

やっぱり私は田舎の雰囲気は向いていない。とてもフレンドリーで楽しかったけど、こんな風に一変していじめられたりすると一気に八方ふさがり状態、逃げる所が無くなってしまいました。
こんなんじゃダメだと思いました。


今思うと

私は調子に乗っていたのだと思います。私の存在はあの中では完全に浮いていたし、仕事は1年半ほど頑張って本当にやりがいを感じていたけれど、周りからはどうにも「違う」と思われていたのでしょう。

しかしながら

今現在、世界に誇れるブランド企業に成長したその会社が私は今でも大好きです。たった1年半ですが、そこで仕事が出来た事を心から誇りに思っています。




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