身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言①

改めまして、pixi.a.k.jpの三宅と申します。
身体性に関心があり、現象学的な身体(からだ、という場を考証してゆく学)から、傷病治療の各論(病気の治療の方法)、特に心身医学の技法(カウンセリングの方法)に関心があります。同時に治療構造と呼ばれる、患者さんをめぐる医療体制や連携のしくみに興味があり、昔、透析患者さん、医師・看護師・技師といった医療技術職のサポートと研究をしていました。

この度、身体症状症に思うところがあり、お困りの方お一人にでも届いてほしい、との思いから、からだ、こころ、医療体制についての私論を申し上げます。
専門家向けの小論文も構想しており、こちらにつきましても一般の方にもわかるよう注釈を掲載の上、後日掲載します。

「身体症状症」という疾患があります。
少々前までは身体表現性障害、という病名で呼ばれていました。この名があたかも患者の人格の障害により好訴的、ヒステリカルにあっちこっちの体の不調を訴えるかのように誤解を与えるため、最近の診断マニュアルの更新の際に病名が変わった、という経緯があります。
まさにこの誤解が示すように、原因は脳のバーストか、こんにちの医学では原因がわからない病気を指します。不調を感知してしまうような何らかのバーストがからだではなく脳のある部分で起き続ける、あるいは季節の変わり目、疲れた時にうずきだすことにより持続的あるいは節目節目、またはサイクリックな不調が起きる病気です。
不調はあるけれども、検査をしても異常が指摘されない一群で、有病率は5~7%と低くはありません。
同じ疾患グループに「疼痛性障害」という、主に痛みを主症状とする病気があり、発生機序と治療も非常に似ています。疼痛性障害は慢性疼痛(何らかの病気の結果としての痛みの症状がある状態)にも関わってくる傷病です。
このバースト状態も含めた状態への治療を提供できるのは精神科です。なぜ「からだの不調や痛み」なのに精神科かというと、具合が悪いことによって患者さんが行う行動が、結果的に症状を悪化させていることがあり、このような悪循環な行動をチェックできる技術を持つのが精神科である、ということと、脳のバーストや疼痛の薬の使用に長けているのが精神科である、ということによります。また、うつ病や不安障害といった他の精神疾患の症状として体の不調が起きていることもあり、精神科ではこの鑑別診断も行います。
稀ではありますが、脳脊髄液減少症がひそんでいる可能性もあります。

身体症状症の名のとおり、体中の多彩な不調症状やしぶといが原因のはっきりしない痛みが出ます。症状の対処も含めてからだの治療もあるため、診療各科と精神科、心理技術職(臨床心理士や公認心理師)、副次医療従事者(整体やカイロプラクティック、柔術整復や鍼灸など。更には運動療法もあるため、この場合にはジムのトレーナー)による全人的医療が必要とされるのですが、残念なことにこのような各科連携での総合診療を提供する場は日本には少ないのが現状です。
ここで、全人的医療という概念は、高度に専門化し、ややもすれば傷病と医療技術職があって患者本人の気持ちや意向が置き去りにされうる、現代医療の反省から起きてきたもので、「患者本人の心理・社会的問題も含めて、複合的な観点から各科が連携して、患者本人の意向をふまえて医療を提供すること」をいいます。
最も人材が豊かであり効果的に機能している場合には、例えば精神科医とカウンセラーが日常的にそれぞれの意見と見識をもって協議しながら治療を進め、同時に身体科の医師にもわかりやすくこのプロセスを説明して、更には身体科の専門医の知見を聴き、患者さんの全体的な医療を患者さん本人と話し合ってゆく、ということができます。このような医療の方法論を「包括的治療」といいます。
しかし、医療というのは慢性的に人員不足であったり、必ずしも身体科の医師が身体症状症を知っているわけではなく、更には「所見がない(検査上の異常はない)が、臨床的症状がある(症状と不調がある)」というのが身体症状症の特徴でもあるため、この症状の治療に専心なさっていて、実は身体症状症があった、ということが見逃されている、ということは往々にして起きえます。
また精神科というのも慢性的に人材不足の科で、必ずしも身体症状症の心理臨床(治療技法)を提供できる心理技術職を置けないという現状もあります。
患者学、ということばが以前話題になりましたが、必ずしも相談リテラシーが高いか、情報へのアクセシビリティが高い方ばかりではありません。ドクター・ショッピングはしばしば身体症状症の方にみられる現象ですが、不調をわかってくれる医師を探すのは当然であるし、「なぜからだの具合が悪いのに精神科に行くのか?」というのは、一方でしごくもっともな思いです。
場合によっては、患者さん本人が奮闘をみせ、患者さんが起点となって、それぞれの医師や治療職が結果的に連携をしている、という当人サテライト型の包括的医療が成り立っているようなこともあります。
また、かかりつけ医に受診をして、かかりつけ医がサテライト型の包括的医療の管理者となり、紹介や情報交換をして患者と話し合い、全人的医療や包括的医療がなされているような理想的な場合もあります。

私が身体症状症の方の治療をしていたその昔は、ようやく精神科や心理職の中に「原因がわからない症状や痛みは、それ自体に向き合うべきであって、古のセラピーの主流であった、本人の性格的・人格的障害や隠れたる葛藤が体に出ている、といった心因論は最後の選択であり、症状それ自体による影響を最大限に考え、患者理解のために部分的にそっとくみ取るべきことがらである、ということが、だんだんと共有されてきた時代でした。
その初期からみれば20余年たつのですが、今も身体症状障害に苦しみ、診断が遅れ、大いなる社会的損失をこうむっている方々がいる事実を、「情報のセーフティーネット」をこころざされているオンラインメディア、ソア(https://soar-world.com/)にて知りました。ソアでは10年の闘病ののち診断がようやくつき、障害者雇用でOliHime(ロボット)オペレーターをつとめているさえさんが紹介されていますが、さえさんの闘病録は私には生命科学者、柳澤桂子先生の奮闘と相似に思われました。(『認められぬ病 現代医療への根源的問い』山手書房新社 1992)。
この間、30年です。

どれだけ医療が進歩しても、知見がある人が増えても、困っている人がいる。ある困りごとについて、知っている人がいて、治療や支援ネットワークの作り方を知っている人がいるならば、その人たちは知っていることを周知し続けなくてはならない。
また一介の治療職という当事者でない今であるから、みえること、言えることがある。
そんな思いで、身体症状症をめぐる問題を発生機序、治療、治療構造(医療体制)に於いて考察してゆきます。

*参考文献
身体症状症 2018 吉原一文・須藤信行 日本内科学雑誌 107巻8号
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/107/8/107_1558/_pdf

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