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「逍遥学」を提起します。 逍遥とは学際である。学際性とは都市集落生活者である。 集合型…

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「逍遥学」を提起します。 逍遥とは学際である。学際性とは都市集落生活者である。 集合型書店に参画、pixi.a.k.jpにて出店しています。 集合型書店の即興性のフェアやワークショップの感じを、文章にしてみようと思いました。

最近の記事

身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言⑤-先駆者や症例-

身体症状症について思う時、真っ先に心に立ち現れるのは柳澤桂子先生です。 身体症状症の治療は既に20年前に先進的な医療機関の精神科でほぼ現在のガイドラインに近い形で取り組まれていました。 さんざ身体各診療科をさすらい、心の病気扱いをされ、またその服薬も多くの場合成功していない、更には副次医療で抱えられてもいるけれども、そこで「身体症状症」という脳内バースト状態の「からだの病気」という枠組みが与えられているわけでもない、という患者さま方の治療に関わっていた当時の私には、身体症状

    • 身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言④-心身症の参照より-

      心身症というものについて一考し、ここからみえてくるこころとからだ、更には身体症状症の方の苦悩を推察します。 心身症とは、まさにこころがからだという場で展開してゆくような疾病の一群で、精神科でも扱いますが、むしろ内科や心療内科が得意な領域です。 「身体疾患の中で、その発症や経過に心理・社会的 因子が密接に関与し、器質的ないし機能的障害が認められる病態」と定義されます。 *心身症 東京大学大学院 ストレス防御・心身医学 熊野宏昭http://hikumano.umin.ac.jp

      • 身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言③ 鑑別について-関連・周辺症と治療機関-

        身体症状症は少々前まで身体表現性障害といわれていましたが、同時に今でも別の病名で呼ばれ、患者さんが診療所や副次医療機関(カウンセリングや鍼灸整体、漢方内科や薬局など)でかかえられている現状があります。この場合オーソドックスには「自律神経失調症」と呼ばれます。 身体症状症のうち、からだの局所あるいはあちこちの多彩な症状があるものと、痛みや違和感を主とするものとがあります。後者は項①にて記述した「疼痛性障害」のグループです。このうち前者である割合の方が高く、この群は医学の中では

        • 身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言②症例1 OriHimeオペレーター”さえさん”より

          身体症状症の治療を行うのが、精神科である、ということに、多くの方は驚きます。 残念なことに、精神科というのは医療技術職の中においても、いまだに誤解の多い部門であり、これが患者さんが身体症状症の治療にアクセスするハードルを上げてしまっている要因でもあります。当然患者さんも「なぜ体の具合が悪いのに精神科に行くのか」「確かにからだの具合が悪くて参っているが、それをうつ病扱いされたのではないか」という誤解もあるし、「具合が悪いところへもってきて、やれ生まれ育ちがどうだ、性格はどうだだ

        身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言⑤-先駆者や症例-

        • 身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言④-心身症の参照より-

        • 身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言③ 鑑別について-関連・周辺症と治療機関-

        • 身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言②症例1 OriHimeオペレーター”さえさん”より

          身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言①

          改めまして、pixi.a.k.jpの三宅と申します。 身体性に関心があり、現象学的な身体(からだ、という場を考証してゆく学)から、傷病治療の各論(病気の治療の方法)、特に心身医学の技法(カウンセリングの方法)に関心があります。同時に治療構造と呼ばれる、患者さんをめぐる医療体制や連携のしくみに興味があり、昔、透析患者さん、医師・看護師・技師といった医療技術職のサポートと研究をしていました。 この度、身体症状症に思うところがあり、お困りの方お一人にでも届いてほしい、との思いから

          身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言①

          逍遥学 序 移動する小説家ポール・オースター

          ポール・オースターが経験したパリでの一日を、小説の中に透かして見る。ポール・オースターのそれぞれの小説の、その襞の中に、彼のパリを見る。 ポール・オースターは、アメリカ系ユダヤ人であり、実父との葛藤を文学作品として昇華させるまで、彼は物理的に移動を続けた。 彼の父子葛藤の昇華の在り方は、しかし実にアメリカ的である。大人と大人の一個人として出会い、そして別れる。ヨーロッパの、あやうく親も子もない象徴的な殺し合いへと展開するようなそれとは全く異なる、どこかしら乾いたものがある。

          逍遥学 序 移動する小説家ポール・オースター