身体症状症 概説とサテライト型包括的医療の提言⑤-先駆者や症例-


身体症状症について思う時、真っ先に心に立ち現れるのは柳澤桂子先生です。

身体症状症の治療は既に20年前に先進的な医療機関の精神科でほぼ現在のガイドラインに近い形で取り組まれていました。
さんざ身体各診療科をさすらい、心の病気扱いをされ、またその服薬も多くの場合成功していない、更には副次医療で抱えられてもいるけれども、そこで「身体症状症」という脳内バースト状態の「からだの病気」という枠組みが与えられているわけでもない、という患者さま方の治療に関わっていた当時の私には、身体症状症を抱える方の向こうに柳澤桂子先生がみえました。
柳澤桂子先生の診断は、
ヒステリー→家族の病理の悩み→周期性嘔吐症→身体表現性障害・疼痛性障害(現在の身体症状症)→身体症状症→脳脊髄液減少症と変遷していますが、これははからずも医学の進歩の歴史でもあります。
発症から数十年、周期性嘔吐症の診断がついた時点から、柳澤桂子先生の身体症状症の治療の開始となりました。これは「薬物治療という意味において」という点に限られます。身体症状症の治療薬が主として抗うつ薬であり、これが著効したためです。
抗うつ薬というのはしょんぼりを元気にする、のではなく、抑うつがもたらされる脳のメカニズムに関与する薬であるため、実は昔から長けた医師は疼痛管理に使ってきたものでもあります。
えてして気分に作用する薬というのは、身体面への主効果もあり、これが期せられる場合がままあります。

柳澤桂子先生と電話でお話しをしたことがありますが、気取りのないお優しい方でした。「きっと方法はあるはずだ。自分は科学者であったので、医学はいつでも進歩途上にある、と知っている。お互い頑張りましょう、あきらめてはいけない。」と穏やかに、時に強く語られたお声の強さが印象的です。

実は私は身体症状症当事者でもありました。発端は親不知の抜歯後の高熱発です。
熱発とともに異様な倦怠感があり、熱がひいてきた頃から平衡感覚の異常があらわれ、しばしば転倒しました。
その後に、まるで寝違えをしたかのような頸部の不具合が生じ、首を曲げると吐き気や時に嘔吐があり、頸部から頭頂までの強い筋緊張があり、耳鳴りが出て、総合病院の耳鼻科に行けば「耳管が閉塞している」と空気を通す治療をし、しかし治療後にはすぐに時間が詰まる、というありさまでした。
大学病院の神経内科にかかり、脳外科が係わり、大学病院の精神科に紹介されては薬にアレルギーが出て中断、国立病院の精神科に紹介されては差戻し、それならばと知人に聞いた精神科医を受診してはやんわりと神経内科に差戻し、抗うつ薬を処方されては高熱発に尿閉、抗てんかん薬が処方されてはまるで強い酩酊状態のように千鳥足にぼんやりになってしまって駅員室にて救護、筋弛緩薬が処方されれば、ただただぼんやりするばかり、柳澤桂子先生の訪問診療をされていた医院の先生も困ってしまう、というありさまでした。
この一連をみていられた脳外科の先生がある日「もういい!まず症状を何としても止める。こうなったらデパス!それから鍼灸整体で回復力を上げる!俺も実は鍼灸整体は時々行っていて、あれは効く!」と仰られた一言で神経内科医からデパスという薬が処方されました。
こうなるとデパスとい薬に多少知識があった私も、まったく不承不承ながらも服薬します。
これが著効しました。
服薬当初は、まるでアレルギーの薬を飲んだ時のような副作用があったのですが、次第に気分志向面への干渉を感じることはなくなりました。
デパスというのは日本でその昔多用されていた抗不安薬、筋緊張緩和薬です。
その後精神科専門医に聞き、抗不安効果は連用4~5年で耐性形成され抗不安効果がなくなることを知りましたが、身体症状の緩和作用は維持されるようです。
はからずもこれはデパスという薬が重宝もされるし、なるべくであれば推奨されなくなるに至る側面でもあります。
常用量依存や耐性形成による服薬量の増加です。
内科や整形外科での処方も多い薬で、SSRI、SNRIの登場ともに、その安直な使用に警鐘が鳴らされた歴史のある薬でもあります。

精神科薬の薬に長けているのはやはり精神科医であり、これが「身体症状症」という脳内バーストのからだの治療を専門にするのが精神科である所以ですが、私の場合も「どうやらデパス以外にひとまず手立てがない」という中で、胃炎でお世話になった心療内科・精神科診療所に経過を伝え相談し、こちらで副作用の様子や生活面も含めて相談と処方を受けることにしました。

この薬によって私は人生を得ましたし、同時にずいぶんと苦いものも服薬の度に飲んできましたが、これはあるいは医療というものの本質とどこかしら相通ずるものがあるかもしれない、とも思います。

最大6錠(3mg)であるならば4錠(2mg)まで、という意向を伝え、時々忘れて飲みはぐって眩暈があらわれしゃがみこんだり、あえて飲まずに過ごしてみたり、諦め悪く再びSSRIへの置換を目指して尿閉と血便を起こしてはあきらめ、交通事故にあって頚椎症をわずらい「これでは服薬していたところで」というぶり返しと緩徐な「もともとこれ位だったかな」という程度への回復をしたりしながら、結局服薬から20年以上この量を超えることはありませんでした。
どうしたことかちょっと前にしばらく寝込んでいた際に服薬を欠いたところ、あれ?そういえば、という具合となり、最近は古傷が痛むなあ、という感じの時に頓服で使う程度です。
特に気分の変化も感じません。

治療ガイドラインは最も効果的であり、かつ副作用を最小にしたところを、さまざまな症例を参照してつくられるものではあります。
しかし、病名が先にあるのではなく、まずいたみと不調を抱えた方は先にあります。
脳外科の医師の仰るところの「鍼灸整体」、副次医療に期するところは多くあります。私自身も非常にお世話になりました。
ある人のいたみや不調を前に、それぞれ依って立つ原理原論が異なるのであって、本流だ亜流だという話ではないことは漢方治療などを参照すれば当たり前なのですが、改めて市井の一人としては、医学と副次医療が何等かの形で相互協力的であると患者の受け取るものは大きいように思います。

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