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逍遥学 序 移動する小説家ポール・オースター

ポール・オースターが経験したパリでの一日を、小説の中に透かして見る。ポール・オースターのそれぞれの小説の、その襞の中に、彼のパリを見る。
ポール・オースターは、アメリカ系ユダヤ人であり、実父との葛藤を文学作品として昇華させるまで、彼は物理的に移動を続けた。
彼の父子葛藤の昇華の在り方は、しかし実にアメリカ的である。大人と大人の一個人として出会い、そして別れる。ヨーロッパの、あやうく親も子もない象徴的な殺し合いへと展開するようなそれとは全く異なる、どこかしら乾いたものがある。
そしてパリである。社会生活をうっちゃってオイルタンカーに乗り組んでしまい渡欧するという移動も、いかにも彼の初期作品の主人公の在りようであるし、あるいはニューヨーカーらしさでもあるのかもしれない。
コロンビア大学哲学科の秀才が、ブラブラした挙句にある日突然中退をし、オイルタンカー欧州便の乗組員になってしまい、アメリカからパリに渡る。彼が過ごしたパリでの一日の陰影を、一作品の中ではなく、各作品との間に感じるのである。そのような一日をぜひ体験してみたいと思う。
ところで、パリには陰陽の堺が無いように、私には感じられてならない。
例えば東京、新宿であれば、副都心エリア、旧赤線、青線、サザンテラスとトーヨコの間に何かしらのランドマークなり交差点なりがあって、ここから先はこれよ、というメルクマークがある。
イタリアなどは、都市ひとつ大観光地であるにも関わらず、「この駅から先は旅行者は留意すること」という鉄道の指標がある。『若者のすべて』はかくや、という場所が実際のところイタリアでは大多数なのではないか。
ところで、パリ。この街でぜひ散策をしてみたいということを、ポール・オースターという小説家から得たのであるが、あれほど各区に特徴的な都市設計がされているにも関わらず、華やかであったり、重厚壮美である街路の脇にとことこと歩いたそこに、いかがわしさ、不穏さ、疲れや苛立ちが立ち込めている都市を、ほかに知らない。
同時に、同じ場所での一日の中でも、すべてがなだらかにつながって訪れるのではないかと思われる。そのような体験をぜひしてみたい。ポール・オースターがこんこんと詩作をして正気を取り戻していたパリの一日の体感をぜひ知りたいと思う。
ポール・オースターの小説の主人公はどこかしらを移動している。

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